アラジャホユックからもう少し北上して、県庁所在地のチョルムへ。予備知識は無く、まあ県庁所在地だからビジネスホテルみたいなものは有りそうだぐらいの感覚。
ここの博物館にも多少の見どころが有りそうな情報。
これがチョルム博物館
青銅器時代初期紀元前3000年紀、点数は少ないが見た目を惹くもの
ヒッタイト古王国時代、紀元前16世紀、真ん中の偏平な瓶は背負ったらしい
ヒッタイト時代のBC1650-1200として、王名と在位年の表と、封泥(袋などの口を縛った紐を粘土で留め印章を押している)
ここまで来て、チョルムの南東60キロほどの位置にシャピヌヴァ(Sapinuva;Sはヒゲ付き)と言う遺跡が在り、ヒッタイトの王都が置かれた事が有ると言う。
ホテルが一泊1000リラでまあまあ良かったので、2泊してシャピヌヴァを見に行くことにした。
夕方、チョルムの街を歩いてみる。
時計塔
その前の広場、趣の有る建物は市役所らしい
県庁所在地とは言え小都市。このあたりで食事をと考えながら歩いてちょっとした広場(メイダン)に出たので、青年の二人連れに良いロカンタとかケバブ屋は無いのか尋ねると、教えてくれたのはホテルの向かいに見えた新しいショッピングモールの中の店。
今回のトルコで一番良かったアダナケバブ、二串出て来て添え物も充実。
新しいショッピングモールが2つ建っていて、こちらは大きい方。ケバブ屋は小さい方(Yunus19)の一階、お薦め。
チョルムのウルジャミ、地震で何度か建て直されているが、最初はルームセルジュークのアラッディンカイクバード3世時代の創建と伝わる。バヤジット2世時代(在位1481-1512)の大地震の後、あのミマールシナン(ミマールの職位は1539年頃から1588年没までか?)が再建を行なった記録が有る。現在の姿は18世紀末の地震による倒壊後、1810年に再建された建物。
二本ミナレットが有って横長で、ウルジャミかと間違ったモスク、アブディベイジャミ(詳細不明もそこそこの建物)。
チョルム城、現在修復中。修復作業をしていた作業員(イラン出身者だった)が中を少し見せてくれた。
チョルムの案内書には、オスマン帝国時代の1571年(セリム2世の時代、キプロスを手に入れた年)の記録に『セルジューク朝の建築』として現れていると言う。が、使われている石材や手法には以前のローマ・ビザンツの雰囲気が有る。因みにビザンツ期のチョルムの名はエフハニア。
トルコには珍しく、ホテルに地図が置いて有ったので見ていると、チョルムの街の北側15キロほどのところに温泉の標しが。
行ってみると、鄙びた村の入り口に『ローマ温泉』みたいな看板。
200リラ(約1000円)なので入ってみた。温水のプールは38度ぐらい。特に臭いもなく水質も普通。この部屋は湯気が籠もっている。
屋外に冷水プール
このあと村の周りを走ってみたが、源泉や古代の遺構は確認できず。
沸かしているのか?それなら客も見かけなかったのに燃料費がかかり過ぎるから、やはり温泉が出ているのか?
地図はチョルム県の地図で、東の方にももうひとつ温泉マークが有ってどちらもトルコ語でカプリジャとしているから湧泉であることは違いなさそう