博物館を出て、ハットゥシャ遺跡をもう一回周っておく。


再現城壁、中には入れない

この厚みで都市域全部を覆っていた

城壁から大神殿方向の眺め

ライオン門に向かって高度を上げる道から、東を見ると、都市域の真ん中ぐらいに建造物礎石とその東側に壁のようになった岩の低部に、掘り込んだような形状が見える。
ここへはアクセス道路が設けられていない。何か意味が有りそうだが。

ライオン門、西陽を受けてはっきり見える。

その壁の低い部分、大きめの石がきっちり積まれているのが判る。その上の層はやや雑。

ホテルに戻って来て、
ホテルの前辺りからハットゥシャを見ると、中央奥で高くなったところがスフィンクス門の城壁、そこから斜面にハットゥシャの市域が見えている。

ついでにヤズルカヤも再訪。

A室
西陽が当たるかと思ったが。

夕食は村の中心の、老夫婦の食堂に行くと、今日は息子が一人で店番をしていた。先に憲兵隊の二人が何人ぶんかのテークアウェイを注文している。そう言えばスングルルに向かう道路の村外れに、5階建てのアパートが憲兵隊の建物の裏に建っていた。
両手にテークアウェイの食料を持った憲兵隊が出て行くと、客は自分ひとり。
作り置きの料理は昨日と同じような取り合わせ。
老夫婦の息子かと尋ねると、その通り。彼はフランス語を話す。フランスで仕事をしていたと言う。
昨日、新しい村長に会って話す機会があって、土地が安い話をされたと言うと、「今の村は観光客が来なくなって、若い者は都会に出て行く、自分の兄弟もみんな村を出た」と。
彼に拠れば、「昔は3万人とか4万人(年間の数字か?)の観光客が来たが、カッパドキアの開発が進んで観光客をみんな獲られた。客がいなくなって、今の村には騙してでも金儲けをしようとするような奴もいる。注意したほうがいい」。
新しい村長は開発に積極的に見えるし、アイデアは悪くないと思うと言うと、「まだ1ヶ月ほどだからなんとも・・・」。
それで、今日も最後にチャイと甘いもの、ただし昨日は4個、今日は3個。
カッパドキアは実は最初、1976年に訪れて、当時はまったく訪れる人も無く、確かユルギュップの村だったかに遺跡の鍵を管理している村人が居て、その人物を連れて洞窟教会の内部を見た。それが、2003年だったと思うが、再訪すると遺跡地区は整備されて遺跡公園でしっかり入場料を取り、村々に大小のホテルが建ち並んで、空には熱気球が乱舞する状態に様変わりしていた。
カッパドキアに比して、ハットゥシャの歴史的重要性や遺跡の規模は決して劣っていないし、個人的にはやり過ぎに映るカッパドキアの現状より、上手く遺跡を整備して見せ方やプロモーションの工夫をすれば、よっぽど伸びしろが有るはず。材料は悪くない、と私見を告げると、「観光客が戻ってくれば村も住民もうまくいくが」。
今の村の公務員や職員はほとんどスングルルかチョルム(県庁所在地)から通っているそうで、アパートも無い(憲兵隊は自前の官舎)とのこと。
これからの開発に期待がかかるが、現状はなかなか。
因みに、昨日とおんなじメニューで、母親は330リラだったのに、今日の息子は甘いものがひとつ少なくて350リラと言ったぞ。