下の町からもボアズカレ村の病院が見えている、手前はやはり貯蔵庫のようで、食糧の備蓄に注力しているように映る。食糧生産が不安定だったのか?それとも何か重要な物資も貯蔵したのか?
併せて、この周到で強固な都市防衛の備えは、何を怖れていたのか?
ハットゥシャの城塞都市の地形や防御システムは、外敵に対して非常な不安を持っていたように見えるが。
それとも遠隔地からの交易商人に対する、安全確保とヒッタイトの威信の表象なのか?

下の町のやや上方に水利施設の跡らしきもの。ハットゥシャの高い位置から陶製のパイプで水を引いていたよう。
大神殿の周りで観光客を待ち構えて案内しようとする(たぶん小遣い稼ぎ)地元のおっちゃんの説明。
墳墓では無いのかの疑問が残る。このハットゥシャの今日見た遺構の中に墳墓の気配が全く無いのはどうなのか。
城塞都市はかなり広い範囲を囲っているからこの中の何処かか、或いは城外の谷とかにネクロポリ(墓地)が在ってもいいはず。

大神殿とさっきの宮殿地区(ブユックカレ)の間の斜面に建築物遺構。
斜面の家屋としている。ヒッタイトの古い都市が紀元前16世紀には存在していて、この2階建ての建築物は大きさから何らかの公共建築と考えられている。
紀元前13世紀末に火災に依って損壊した痕跡が在り、一階部分から楔形文字陶板の文書庫が発見されている。

この覆いの下に火災跡の残る壁が在るらしい、後方の高台がブユックカレ。

周りにも遺構

昼を過ぎているので、ボアズカレ村の入り口に在るもう1軒のホテルに。こちらはレストランも営業していて、ヨーロッパ人のツアーがひとつ入っていた。
WiFiが有るのを確認して、ランチのメニューを訊くと、「ビュッフェ式で€30」。そんな高いのは要らんというと、「なら€15」。もうツアーが出て行くところで、あとは客が無い。
WiFiが繋がったところで溜まっている写真をグーグルフォトにアップロード、繋がってはいるが速度は遅い。


ボアズカレの博物館

目玉はベルリンから取り戻したスフィンクス門のオリジナル像

ハットゥシャでは青銅器時代初期(BC3000-2000)からの出土品が。

アッシリア交易植民都市時代をBC1945から1730としている。

ヒッタイト古王国時代、BC1650-1450

武具、小さい金属片を重ねた鎧が有る

神殿からの出土

ヒッタイトの王名と年代、王の印章

楔形文字陶板、左からラムセス2世からハットゥシリ3世にアッカド語でハットゥシリがエジプトの医者を派遣して欲しいという要請に対する返事、中央はラムセス2世の妻ナプテラからハットゥシリ3世の妻で女王のプドゥヘパへアッカド語で、右はシュッピルリウマの婚姻契約。