ピラミッド型城壁の上から南東方向、ヨズガッドからの道路が左の谷を通っている。ヒッタイトの時代、アッシリアや北シリアからの人や物はこちらから来たのだろう。

確かに南側は城壁を高くしなければ、高低差が無く、仮に大軍でも横に展開して攻め掛かれる。

スフィンクス門の説明板

外側

城内側

スフィンクス門を入った地区は城塞都市ハットゥシャの一番高い位置になり、多くの神殿が建てられていたとする。

スフィンクス門の在る遺跡の最高部から北東方向の眺め。右に降る道路は王の門に向かう。その先にも多くの神殿と見られる遺構。

スフィンクス門から王の門に向かう地区の神殿遺構。

神殿跡からスフィンクス門の城壁を見る。

王の門説明板、外側に石積のアプローチが斜めに配されていた。

王の門、城内側左手の人物像が王の門の名称由来。実際には門衛。

外側

外側のアプローチ、ちょっと日本の城郭で言う枡形にも似ている。ここから左側の斜面は、東側の谷に向かって急傾斜。

遺跡の順路は、南の頂上部のスフィンクス門を挟むライオン門と王の門がそれぞれ近い位置に在り、このあと車で降りながら主要な遺構を訪れる。

ニシャンタシュ、岩壁にルウィ文字の碑文、かなり風化している。内容はヒッタイト帝国時代の最後の王シュッピルリウマ2世の事績とのこと。この左手に神域が在ったらしい。

ニシャンタシュ説明板

この西側は少し落ち込んでまた上がっている。

北を見ると、右から降る道が初めにライオン門に向かった道に合流し、その先が下の町と遺跡入口になる。この遺跡内は反時計回りの一方通行が順路。
遥か先は、北に向かって比較的平坦な地形で、スングルルからほぼ直線で遺跡まで両側は緩やかな丘陵の小麦畑。こちらがハットゥシャの穀倉地帯だったか。