YouTubeで見た若手研究者の山本君も、ハットゥシャの遺跡は広くて、歩いては難しい。長距離バスでスングルルまで行って、そこからタクシーを交渉することを薦めている。

その後の遺跡周りも考えて、この際、レンタカーで行くことにした。はっきり言って、ここ数年自分で運転していないが、交通の便の悪さと、3年前に比して爆上がりしているトルコの物価を考えれば、タクシーよりは自力で。

帰りの飛行機もあるから、アンカラ空港で借り出して最終日にアンカラ空港に戻る予定、9日間で25000円ぐらい。ガソリン代は高いが、欧州のレンタカーは安い。


空港バスでエセンボア空港まで行って、レンタカー。

11時前に空港出発、車はフィアットのはずが、シトロエンのC-エリゼ。なんか低回転のエンジンだなと思ったらディーゼル車、マニュアルで6速まである。
空港を出てアンカラ方向に少し走ったあと、D140で東に、D765を南下。
ここであの紅い河、クズルウルマク川を渡るが、色は紅く無い。寧ろ、その辺りの山腹は青緑で銅を含んでいるよう。
クルッカレでD200に入ると交通量が増え、スピード違反検知器も多数。
今回は人生初のディーゼル車、その上燃料代も考えて、これも人生初のエコ追求ドライブ。制限速度遵守、アクセルは軽く踏む。
途中からD190になって、2時間ちょっとでスングルルまで来た。
トルコの問題は地図がほとんど無いこと。クズライの洋書まで置いている本屋にもなかったし、レンタカー屋も持っていない。
スングルルの街を抜けかけるので、道端の店でボアズカレへの道を訊いた。
「数キロ先に、右に行く別れ道が在る」とのことで、その通り。
田舎道で車はほとんどいない、ほぼ直線の道。30分ばかりでボアズカレの村に至る。

ボアズカレの中心、青い扉はスーパーマーケット、その右に薪で焼いているパン屋。

銀行が1軒在ってその並びに茶店。とりあえずチャイをしに店の前の席にいるおっちゃんに挨拶すると、どうやら店の主は郵便局まで行っているらしく、「まあ座れ、どこから来た?」

茶店の向かいが郵便局、その後ろの4階建ての建物の一階に食堂が在って、結局2日間夕食を食べに行った。

トルコ中、何処でも日本人だと受けが良い。店の主人が戻って来てチャイをしていると、初めに声をかけたおっちゃんは、ドイツ人のハットゥシャ遺跡発掘調査に数十年加わっていたと言う。
今日のホテルは決めていない、この村のホテルかスングルルの町にするか考えていると話すと、「この村にもホテルが在る、スーパーはあそこで、その隣のパン屋で朝パンを買ってこの店でチャイすればいい」。「レストラン?その角の食堂は村の老夫婦がやってる、奥さんの料理は悪くない」。
ネットで下調べした時に、ヤズルカヤ遺跡に向かう道に大き目のホテルが在った。
「バシュケントだな、客が少ないから値段は交渉するといい、他にも在るけど聞いてみれば」という事で、この村に2泊することに決めた。

「ところで、先月の選挙で新しくこの村の長になった男に会いに行くから、一緒に行こう」と言い出す。うーん、なんか良く分からん展開だが、まあいいか、と付いて行く事に。

これがボアズカレ村役場、写真は翌日朝、チャイをしに行く途中に撮った。

トルコの地方首長はいろんな人間の訪問を切れ目なく受けることが大事なようで、おっちゃんは役場の二階の村長室に入って行く。
先客が居て、チャイが出ている席におっちゃんも加わる。その間、いろんな電話にも対応しながら、やって来た地元住民の話を聞いている首長は、おっちゃんが「日本人の観光客だ」と紹介すると、英語で「私は先日の選挙で60パーセントの支持を得て当選した。今この村を発展させるプロジェクトをいろいろ用意している。天然ガスを全家庭に供給するのがまず第一、それで世界中の人々にこの村に住んで欲しいと考えている。ハットゥシャの遺跡を目の前にする良い土地が今なら格安の値段で提供できる・・・」
うーむ、村は一見して確かに時代の波に乗り遅れた感じで、鄙びた感いっぱい、観光客も僅かで、何か振興策が必要なのは分かる。おそらく以前の首長は国や県レベルでの資金を引っ張ってこれなかったのだろう。或いは、国レベルでこの地域が疎んじられて来たのかも。
とは言え、いきなり不動産エージェントのような話。結構具体的で、「自分は村長だから商売はしないが、400㎡あまりの土地がUS$70,000から100,000で手に入る。平屋建てなら数ヶ月で家が建つ、手っ取り早いプランならUS$100,000で住めるようになる。ハットゥシャの遺跡を毎日見ながら、半年はここ、半年は日本とか・・・」
いやいや流石に小さな村の首長とはいえ政治家、話は達者である。
どうやら私を役場に連れて来たおっちゃんは、外人観光客が来たら彼に紹介するよう言われてるような。
ま、実際にその話に乗るかはともかく、その土地と家が見れるのか訊いてみた。
土地は見られるが家の見本は無いという。それでもこちらは話の種に、土地だけでもどんなところか見たいがと告げると、想定通り若い者に電話して、現地を案内する段取りに。

これが現地、右は最近建った2階建ての家、これは個人宅で中は見られないとのこと。電気と天然ガスは来ているという。

このときは曇天でしかもまだハットゥシャ遺跡を見ていないので気付かなかったが、この敷地の一番先の区画なら、本当にハットゥシャ遺跡全体が我が物のように一望できる。

翌日、ハットゥシャ遺跡内の宮殿跡からの眺め。中央の奥、5階建てぐらいの白いビルが村の病院、その右手にふたつ目の家が今回の敷地の隣に建っている新しい2階建ての住宅。遺跡は背後の山の上まで広がっているので確かに、ハットゥシャの全貌を眼にできる一等地。

どうもこの場所は小麦の農地だったようで、雨模様の土地を歩くと粘り気のある泥土が靴の裏や側面に数センチこびり着く。
案内してくれた若者は村の建築業者で、「眺めの良い区画で、1ヶ月有れば平屋住宅が建てられる、値段は土地込みでUS$110,000」。

遺跡の前に、予想外のトルコの開発乗り遅れ小地方自治体の新首長と、現代不動産事情が知れた。
「まあ考えとくわ、村長さんも携帯番号くれはったし・・・」と言うことで見学終了。

さて、村から数分ヤズルカヤへの道を登るとグーグルマップで見たホテル。広い敷地に泊り客の気配無し。別棟の営業していないレストランの前に管理人とおぼしき人物と、知り合いらしい村人が数人チャイをしながら談笑している。
話をすると、「素泊まりなら600リラ(約3000円)」、2泊することにした。

宿は決めたので、早速この先のヤズルカヤ遺跡に行ってみる。車で2分。

遺跡のエントランス、礎石の上に構造物が建っていて、その左手の岩の間に屋根を架けないオープンなふたつの祭儀空間。

手前A室の案内板

左に男神と男性、右に女神と女性の列が彫られ、

奥の岩に男神テシュプ(嵐神)と女神ヘパト(太陽神)が出会う形。

建物の在った位置に戻って、次にこの狭い岩の隙間を抜けると、

B室

ここは冥界に向かう葬祭所だったか?

守護神シャルマ(テシュプ神の息子)に抱かれたトゥトハリヤ4世