今回の南インドの旅の主題のひとつ、紀元前後のローマからの海上交易ルート。

ポンディシェリの街の南、マングローブが茂る河口部の入り江状の場所に、アリカメドゥ遺跡が在る。

まず、遺物が展示されているポンディシェリ博物館から。


旧フランス総督府の近く。

しかし、小規模で雑な展示。これは庭に置かれたチョーラ期の石像。

陶器の破片、確かにアレッティーノ(紀元前後にアレッツォで焼かれた浅浮彫りのある赤色陶器)と見えるものが在る。
アンフォラの破片、形状からガルム(魚醤)、ワイン、オリーヴオイルを詰めていたと見られる。ガルムが在ったのはちょっと驚き。当時のローマ世界では多く造られた(属州アフリカやヒスパニアに大規模の生産施設の遺構)調味料だったが、その後の世界にほとんど残っていない。

これはビーズ飾りの製造工程説明。遺跡から大量のビーズ飾りと原材料が出土していて、ここにビーズ製造集落が在ったと考えられる。原材料にはローマ・オリエント世界の硝子や石材が含まれ、インドで製作されたかインドの製作者が作ったと考えられるビーズ飾りが東南アジアで多く見られる。

しかし、この博物館の展示は貧弱で学術的なアプローチも怪しく映る。
改めてアリカメドゥ遺跡発見と調査の過去を調べると、考古学的に緻密に行われたとは見えない節が有る。
とはいえ、ここが紀元後1世紀の『エリュトラー海案内記』や『プトレマイオス地図』に言うポドウケの有力候補であることは否めない。より精緻で、最新の手法を駆使した調査を期待する。

このあとアリカメドゥをオートリキシャ(トゥクトゥク)で訪れたが、暑さの所為かスマホの画面がロックして写真が撮れなかった。その折、アリカメドゥの川岸にボートでやって来る観光客が居たので、ボートで再アプローチした。

ポンディシェリの南の入り江にボート乗り場。YAMAHAの船外機が売れている。

砂丘の向こうは外海

内海に現代の漁港、漁に出ると1週間ぐらい海上で、通年で漁に出るが漁獲の種類は季節で違うとのこと。エビは2、3ヶ月後に獲るらしい。

前方のマングローブ林に入って行く。これがボートトリップの趣向のひとつ、ちょうど満潮時で海水がかなりの勢いで上がって来ていた。
この、外海から内に入った入り江状の潟のマングローブ林を分け入る風景は、タイのタクアパのヴィシュヌ像が出土した寺院跡のアプローチにそっくり。

河口を少し進んで
アリカメドゥのランディングポイント

アリカメドゥ地区の建造物
16世紀頃のイエズス会?

このマウンドは陶器の破片が詰まっている

最後に河口から外海に出たところ、外海は小型ボートではかなり揺れが有る。
気になったのは、外海からこの地点の目標になるような高い山などが無いこと。海岸沿いに航海しても、どうやってこの場所を特定したのか不思議。
『エリュトラー海案内記』や『プトレマイオス地図』で言うポドウケは、エンポリウム(交易地)で各地の物資が取り引きされる場所としているが、どうなのか。
寧ろこの場所は、タイの南部にいくつか発見されているビーズ製造遺構との近似性を見せられた。特に、ラノーンからタクアパあたりのアンダマン海沿岸で、大き目の島や砂州の内側に寄港地が在って、その周辺にインド人の工人が居たと見られるビーズ製造集落が見つかっている。

総合的には、アリカメドゥは疑問を大きくさせる場所だった。