2023年11月と2024年1月の二度に渡って訪れたアンコール遺跡群の遺構を時代順に整理して置く。
最も古いと考えられるのは、西バライの南西に在るアクヨム遺構。後の11世紀初頭の西バライ構築によって寺域が失われているが、創建はクメール王朝の成立とされる802年より100年以上古い、674年の日付けとジャヤヴァルマンの名が記された碑文が発見されている。
670年代とは、扶南を倒したチェンラ(真臘)が中国に入貢している時期だが、盤盤(扶南のマレー半島の拠点、真臘に逐われた扶南のインド·中国交易オペレーションが移った可能性)の後継と見られるシュリヴィジャヤ(室利仏逝)が入貢を始める時期でもある。
このアクヨムはチェンラのものなのか?言い換えれば、当時チェンラはこの地域まで掌握できていたのか?或いは別の地方勢力が在ったのではないか?
次に古いのは、ロリュオス地区のプラサートプレイモンティ。プラサートバコンの南、樹林の間に9世紀中葉とされる遺構。
ロリュオス地区はクメール王朝の創立者ジャヤヴァルマン2世が、ジャワのシャイレーンドラ朝から自律して802年にプノンクーレンで王を名乗ったのち、王都を置いたハリハララヤが在った場所。
9世紀中葉とは、ジャヤヴァルマン2世の子、ジャヤヴァルマン3世か、その師と伝わる次のインドラヴァルマン1世の時期。インドラヴァルマン1世は、880年に先ずクメール王朝の創始者ジャヤヴァルマン2世(諡パルメシュヴァラ)と自身の祖父母を奉るプリアコーを建立。
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続いて881年、大きな山岳型寺院バコンを創建した。
更にインドラヴァルマン1世は、今の国道6号線の北側に貯水池のインドラタータカを築いた。
しかし、889年に王位を継いだその子ヤショヴァルマン1世(在位889-910)は、ハリハララヤからの遷都を行なう。先ず、先代を奉るロレイ寺院(893年)をインドラタータカの中の島に設けた。
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ロレイ寺院
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ヤショヴァルマン1世は新しい王都とその中心寺院を置く為に、周辺の3つの山を勘案し、選んだのがプノムバケン。
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この時期、3つの山の他の2つプノムボックとプノムクロムにもヒンドゥー三尊(トゥリムルティ)を祀る寺院を建立している。
ヤショヴァルマン1世の新都の名はヤショーダラプラ、現在のアンコールワットやアンコールトムを含む地域と見られる。
ヤショヴァルマン1世の子ハルシャヴァルマン1世(在位910-923)がヤショヴァルマン1世を奉ったとされるパクセイチャムクロン。
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完成はラジェンドラヴァルマン2世(在位944-968)の時代。ハルシャヴァルマンのあと王位を巡って混乱があった。
ラジェンドラヴァルマンは東バライの中の島に東メボンを建立。
さらに東バライの南側にプレループを961年までに建立。
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さらにラジェンドラヴァルマンは現在のアンコールトムの中に在るピミアナカスの建設に着手している。
ピミアナカスはラジェンドラヴァルマン時代の王宮の位置で、東バライの東西軸線上に在る。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240202/03/h-mori2020/64/f6/j/o1080081015396434197.jpg?caw=800)
ピミアナカス、完成はスリヤヴァルマン1世(在位1002-1050)の時代
このラジェンドラヴァルマン2世とスリヤヴァルマン1世の間にジャヤヴァルマン5世(在位969-1001)の治世が有り、未完に終わったタケウ寺院を遺している。
もうひとつこの時期重要なのは、ラジェンドラヴァルマン治世の967年、王の臨席のもとバンテアイスレイが着工された。完成はジャヤヴァルマン5世の治世下。これも好みの遺構。
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スリヤヴァルマン1世(在位1002-1050)は西バライの築造に着手、西メボンも併せて完成は次代のウダヤディチャヴァルマン2世(在位1050-1066)か。
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ウダヤディチャヴァルマン2世(在位1050-1066)の王室寺院がバプオン。
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