プリアカーン中心部の建築

東参道沿いに在る火の祠、祭儀用の火を絶やさずに灯し続ける為の祠

東参道の濠と橋

東参道の外、プリアカーンバライ(ジャヤタタカ)の西堤に構造物が出土、プリアカーンの東西軸線上に在るから船着き場か。

西参道の外の駐車場まで戻るしかない。かなり遠い、戻る途中、東参道側中心部建築群入り口。左の巨木が建築物を包んで成長しているのが見られる。この遺跡が整備されるには、多くの巨木を払って、崩壊した遺跡を再構築する作業が必要だった。

巨木を切った跡
残っている巨木

この日最後に訪れる事になったタプロムは巨木を多く残していて、映画『トゥームレイダー』のロケに使われたことで、大勢の観光客が映画のシーンに登場するカットに併せて写真や動画を撮っていた。

プリアカーンの西の駐車場(グーグルマップでバライの端から徒歩19分、1.2キロ)まで戻ってから、プリアカーンバライのメボン(貯水池中央部の祠)であるニャクポアンヘ。移動の途中、プリアカーン東端の北側にも駐車場が在る!、ここでトゥクトゥクが待ってくれれば歩くのが半分で済むのに。

プリアカーンバライ(ジャヤタタカ)の蓮、水深は2mだそうで、水位は一定している様子。

ニャクポアン自体かなり大きい中の島(一辺200m以上)で、その中央部に東西南北に小さな池を配した中央池と祠堂が建っている。

北側小池から中央祠堂を見る

ニャクポアンはジャヤヴァルマン7世が施療施設として造ったとウィキにある(一連のアンコール遺跡群についてはウィキペディアの『アンコール遺跡』参照がお薦め)。

今年2023年の夏に訪れたタイ東北部ナコンラチャシマ県のピーマイ遺跡は、今回アンコールワットを見て、実にスリヤヴァルマン2世が副王時代に造った雛形だったのかの感を強くする。
また、アンコールワットに比べれば小規模では有るが水利施設、ジャヤヴァルマン7世時代に手を加えられ大乗仏教要素の小塔、そしてジャヤヴァルマン7世が全支配地域に置いたとされる施療院の跡がピーマイ遺跡には在った。ブリラム県からナコンラチャシマ県、東にスリン県、シーサケット県と、まさにアンコール王朝の中核部分であったと実感する。

しかし、それ以上にこのアンコール遺跡地域の水利施設の巧妙さに驚く。ここプリアカーンバライはシエムリアップ川の水を取り込んでいるが、現在の姿で水を湛えるのは21世紀に修復を進めた結果だという。今は中の島のニャクポアンまで橋が設けられているが、水面から20センチ程の位置で、つまり年間を通して水位の変動がほとんど無いと言う事か。
またこのバライが西側のプリアカーン寺院の外濠の水を供給していると言うものの、直接の水路ではなく地下水系でつながっているような説明がされている。確かにプリアカーン遺跡の地面は砂浜のような細かい砂地で、歩いていて少し不思議な感じがした。ひょっとしたら地盤を掘り下げて改良したのか。
しかも、地図で見ているとこのプリアカーンバライは中規模で、アンコール遺跡地区の東西に在ったバライ(現在は西バライのみ貯水)は4倍ほどの広さが在る。驚きである。

プリアカーンバライの堤を周って、東側にタソム寺院。
西側の門、これもジャヤヴァルマン7世の時代の特徴が有る。
小寺院でかなり傷んでいたものを、プリアカーン修復の経験を経て現在の形まで修復したと説明。

東門内側

東門の外側、ここの堀は水流が有る。

中央堂宇、東西の軸線は通っているが、地盤は不安定な感。