アンコールワットの駐車場に戻ると、9時を過ぎている。トゥクトゥクは直ぐ見つけて、何か食べるところはないかと訊くと、アンコールトムの駐車場の周りに在ると言うので出発。

地図を見ると、アンコールワットの直ぐ北にアンコールトムの市域が在るが、これが思ったより遠い。と言うか、アンコールワットも想像していたよりも大きくて、広い敷地を持っている。

今はトゥクトゥクで移動する森の中の道だが、ここに住民が住む村落が在ったと考えれば、万単位或いは数十万単位の人口が存在したのか。


アンコールトムの南門に架かる橋
ここは一辺3kmの城壁に囲まれた都市
橋の上から東を見る、濠の幅は100メートル
南門にもあのクメールの微笑み

この位置に初めに都市を築いたのは889年に即位のヤショーヴァルマン1世で、都市名はヤショーダラプラ。現在のアンコールトム遺構はジャヤヴァルマン7世が築いた12世紀後半のもの。

バイヨン寺院、四面の微笑みをたたえる像は観世音菩薩とされる
正面は東向き

内部の構造は結構複雑な形で祠堂を組み合わせている。
バイヨンの建設はジャヤヴァルマン7世とされるから、大乗仏教寺院として創建され、ジャヤヴァルマン7世の死後の王権の変化からヒンドゥー寺院化されたと見られている。

バイヨンの北に在る大きな構造物は、バプオン。シヴァ寺院とされる。バイヨンより約100年古く、1060年頃にウダヤディチャヴァルマン2世が国家寺院として創建したという。
大きい寺院、長い参道の先に
三層構造の高い建物、ここも急傾斜の階段が設けられている。王や神官もこの急階段を昇降する必要があったのか。
手前の支柱は廊下の支柱で、この上に通路があった。

バプオン頂上部からの眺め

バプオンの南面に観光客用の階段(アンコールワットと同様、かなりの急傾斜、足元の不安な人には危険なレベル)が設置されていて、頂上部に登れる。

バプオン頂上部東北角からの眺め
このあと北面に設けられた階段から降りる

バプオンの更に北に、南北方向に長く続くテラス。象のレリーフから象のテラスと呼ばれている。ジャヤヴァルマン7世が凱旋する兵の閲兵席として造ったと伝わる。
象のテラスの北に隣接する癩病を患う王のテラス。名称はここで発見された坐像(ヒンドゥーの死の神閻魔)が変色し苔に被われていて癩病を想起させ、かつ実在のヤショーヴァルマン1世は罹患していたと伝わることからこの名がついた。
実際には王族の火葬場だったと考えられている。

バイヨンからバプオン、象のテラス、癩病王のテラスと続く建築群の東側に、広場状の空間を置いて、搭宇と寺院遺構が連続している。


ここで時刻は12時過ぎ、朝は未明の4時半から8時間近く歩き回って疲れの限界。トゥクトゥクの運転手に次の遺跡は歩かなくても良いところか訊くと、「駐車場から1キロほど歩くと寺院跡が在って・・・」。今日はここまで、ホテルに戻って昼寝する。