ドーハに戻るQR1400便は16:00発なので、午前中チュニスのメディナで気になった19世紀のオスマン帝国時代の高官の館 Dar Lasram を見に行った。
グーグルマップの表示は位置が少しズレていて開館時間も不正確、8:00に行ったら8:30から。

その近くに、各国語でプレートの付いた(『詩歌の館』と日本語でも)建物。

ここが Dar Lasram の入り口。

入口からホールに向かう通路

ホール、この周りは会見室か会議室のような部屋がいくつか在って公的空間。
バルド博物館の装飾と似ている。

少し奥まって、一段高い層に私的空間。

贅沢な造りに見える。現在はメディナ地区保存協会のような文化団体によって修復維持されている。

メディナのカフェで、ブログの入力。

今回のチュニジアでいくつか問題点があって、一番は交通機関の不備と移動の困難さ。
二番目が、WiFi・インターネット回線の遅さや容量不足。ホテルのWiFiだと写真入りの投稿とかがエラーに成りまくる。
一方で、街中のカフェはほとんどWiFiを提供していて、こっちのほうが回線の状態が良い。
ついでに、三番目の問題が洗濯物。コインランドリーは無く、ホテルでもランドリーサービスが無い(四ツ星クラスなら有るかも)。安ホテルでは、洗濯屋の場所を教えてくれるので、自分で持ち込む。それでも、洗濯屋が少なく、10分以上歩いたさきとか。

因みに、最初の洗濯屋は、ホテルの言った場所には無く、少し歩いて別のホテルで尋ねてみたら、そこに居合わせた婦人が付いて来いと言って住宅地区の中を10分ばかり歩いたところの洗濯屋まで連れて来てくれた。実は彼女は下の写真の学校の先生。
カラリン私立学校、ウェブで見ると200年以上の歴史が有るみたい。
洗濯は朝9時頃に持ち込むと夕方には出来ている。値段は1000円から1200円ぐらいだった。
受け取りに行って、店のオヤジが「先生と知り合いなのか?」と訊くから、やっぱりあの学校の先生だったのかとわかった。連れて来るときに、「迷ったら、カラリン校と言えばたいていの人は知っている」と言っていたので。

オリーブのモスクのミナレット

次回チュニジアに来るなら、移動の工夫をするか、多少予算を高めにして、一泊100ユーロ辺りのホテルで優雅に、ツーリストタクシーを使うか(独り旅では高すぎる)だと思う。

昔、塩野七生さんがエジプトを訪れた時のエッセイだったか、「ちょっと不便な国では豪華ホテルに泊まるとホッとする」というような趣旨のことを書いておられた記憶が蘇る。

14時頃に空港へ。

ピントがボケたがチュニス空港のラウンジ。

鶏の煮こみみたいなのに、ベジタブルビリヤニのような。総じて、チュニジアは薄めの味付けだった。

カタール航空だけれどオマーンの機体

戻りのルートは東に飛んで、イタリアのパンテレリーア島の上、マルタとシチリアの間、クレタ島の南岸、その後南東にポートサイドの東からアカバ、サウジアラビア、バーレーン、ドーハ。

イスラエルのガザ地区も近い。ハマスとイスラエルの戦闘が始まって、チュニジアのTVニュースはそればかり伝えていた。
時代として書いておこう。
スースの3回夕食を食べに行ったレストランで、接客の青年が「パレスチナかイスラエルか、どっちだ」と唐突に訊いてきたものだ。
まあ、パレスチナの人と話したことはあるし、イスラエルと言ってもユダヤ系の人間は何処でもいるし。青年の問いに、そんな簡単にこっちとかは言えないと答えると、パンを二切れ取って、こっちがパレスチナ、こっちがイスラエル、どっちにする?
ウーン、青年よ物事はそんな簡単なことでは無いのだよ。
イタリアには、物事、特に政治について、『ソット、ソット』と言う言葉がある。日本語の『裏の裏』とほぼ同義。
一般のパレスチナ住民に相当の被害が出ることは当然のハマスの動きも良くわからないし、イスラエルだってナタニヤフは人気取りか、ひょっとしたら国際社会がウクライナに向いてる間に、ガザ地区の完全制圧とパレスチナ人のエジプトへの追い出しぐらいまで狙ってモサドを動かしたかも知れないし。
世界が混迷に入り込んでいることだけは違いない。

真夜中のドーハ、ハマド国際空港。