今回のメインテーマ、カルタゴの遺跡に向かう。

タクシーは安いとわかったので、フランス門の近くから、カルタゴ博物館の在るビルサの丘の上へ。タクシーで15ディナール(約600円)。


海の中道みたいな道路で入り海を真っ直ぐ抜けて行く。隣は郊外線トラムの線路。
ラグレットの港に、チュニス空港着陸時に見えた大型クルーズ船が停泊している。ビルのように見える。運転手曰く、4000人の旅行客で3日間寄港するそう。

カルタゴ博物館、大きなドームはフランス植民地時代の聖ルイ大聖堂で現在は既存の博物館の建物も含めて再開発中。低く白い色の博物館棟では、再開発コンペティションの応募案と結果が展示されている。

フォロの在る中心地から伸びる南北軸の道路カルド、彼方に現在のチュニス。

カルタゴ博物館の位置は、カルタゴ建都伝説の女王ディドがフェニキアのティールからこの地に至り、牛の皮一枚の土地をベルベル人から借り受ける約束で、牛の皮を細かく割いて紐状にし、囲ったビルサの丘の上に建っている。
現在の地表面は、ポエニ戦争で勝利(BC146)した共和政ローマが全てを破壊して塩を撒いた土地に、約百年ちょっと過ぎた帝政ローマ初期、新たに属州アフリカの州都として建設したローマ都市カルタゴの中心地区。

フォロの神殿と建物群が在った場所

チュニス湾、眼下の海岸にカルタゴの港と市街地が在った。樹木の間に円形の軍港の跡が見える。

ローマ都市の下から出土したカルタゴ時代の街区。ローマはこの街区を埋めてその先に壁を築きフォロの地表面を形成していた。

一番奥になる部分にはローマ世界でもいちにを争った行政庁舎が建っていた。フランス植民地時代に聖ルイ(フランス王ルイ、十字軍遠征中この地で死去)の紀念碑も作られている。

出土したカルタゴ時代の街区に降りてみた

入り組んだ街区で各戸に深い水溜めか井戸のようなものが。

カルタゴ時代のネクロポリ(墓地)、三角形に家型をしたものも、単に石室だけのものも。

上の手すりが見えるのがローマ時代の地表面。

海に向かって降りて行くと近郊線のカルタゴ・ハンニバル駅

海辺にカルタゴのマゴン地区遺跡
住居跡
ここに市壁と海に開く門があったらしい。