ワットプラタートハリプンチャイの道路を挟んだ西側に、ランプーンの国立博物館。

現在のハリプンチャイ国立博物館(正式名称)を建てるときに出土した碑文。この場所には僧院が在ったと推定されていたが、まさに11世紀のモン語碑文でワット・センカーオホーまたはタジュマハティーラ碑文と呼ばれるこの碑が出土した。

この博物館は最近改装したようで、スッキリした見やすい展示構成で、オーディオヴィデオ説明映像も長からずの要点を押さえた編集。

ドヴァラヴァティ時代の都市、ロッブリーから水系でピン川を通してハリプンチャイが繋がっている。(この時代のシャム湾がロッブリーの辺りまで入り込んでいた事はロッブリーの博物館の図版で分かる)

紀元前からランプーン周辺に集住の跡が認められ、副葬品の情況から紀元前にある程度の階層差のある社会が成立していたと推測される。
特徴的な鉄器に、青銅器、陶器の出土品。

ドヴァラヴァティ時代のもの
口元(口の上)に髭の表現があるのがハリプンチャイの特徴か?

これはラーンナー時代の典型的なもの

これも14,15世紀ラーンナー様式、なんとなく印象に残る顔

展示棟の外に出て、一階の奥に碑文を集めたセクション。
ハリプンチャイ関連で出土する碑文はモン語碑文がほとんど。
モン文字やパーリ語についてパガン(バガン)遺跡との近似性が語られているが、アノーラタがモンを征服して僧侶や知識人、職人をパガンに移住させたからで、寧ろここでハリプンチャイとモンのタトーンやマルタバンとの関係が重要に見える。
文字とモン語の分布に関して、ビルマ(ミャンマー)側のモン州から、現在のミヤワディ・メーソット(19世紀のイギリスの記録でもう少し北からピン川に出てチェンマイに至るルートもあったような)を通って、タークからピン川を辿ってハリプンチャイとは結構近い。

これはラーンナーのタム文字碑文

これはプラタートハリプンチャイの基壇に1523年に彫られた碑文。内容は1522年にラーンナーのムアンケオに対し、ペグーのビンヤラン2世から両者の友好を約す(不可侵協約)書状。