ランプーンの街を訪れたのは20年以上も前か。周辺はその後、何度も通っている。ランプーンの西側には、19世紀初頭にチェントゥン(クーン)やモンヨーン(ヨーン)から、カヴィラの建てた後期ラーンナー王国に移住して来た村落が在って数回訪れたし、ランプーンの先確かパーサーン地区にビルマ従軍後の未帰還日本兵(実は戦後一度帰国されたが納得がいかないことがあって北タイに戻る)を訪ねてお話を聞いた事もあった。


今回は先週ロッブリーを訪れて、改めてラヴォ(ロッブリー)の王女が僧侶や職人を連れて建国したと伝わるランプーンの街を再訪してみようと思った。

ワーロロット市場の横からミニバスが1時間に1便、なんと35バーツで40分ぐらいの距離。

国道106号は、ローマ街道のように、道の両側に影を作る大きな樹木を植えている。
ミニバスはチェンマイの郊外で国道を離れて鉄道沿いを進み、サラピーのあたりから国道に戻る。

樹木には番号札が付いていて、状態を管理している。

バスが通るワット・プラタートハリプンチャイの西側入口
地図で見ると一目瞭然、ランプーンの旧市街は東側にピン川に注ぐ支流クアン川をそのまま堀にして、北、西、南を人工の堀で囲んだ楕円型の環濠都市。ドヴァラヴァティの形である。

これが中心の仏塔プラタート。ハリプンチャイの建国は661年と伝わるが、後代の支配者が仏塔には手を加えたり建て直したりしている。現在の仏塔はラーンナーのティーロク時代1443年の再建。

その北側にハリプンチャイ時代の仏塔、チェディ・スワンナ

ヴィハーンでは祈願者の運気を高める儀礼が。左の台座に僧が並ぶのはラーンナー式だが、先導者のアチャーンは還俗の俗人ではなく、台上の僧侶のひとりが務めている(ラーンナー式では土間の俗人の先頭に僧侶に向き合う還俗者のアチャーンが司式する、俗人は本尊に向かって着座)。『サードゥ、サードゥ』(原意は善きことを言われたで、僧侶の説法に対する応答)から始まって、日付や場所、儀礼の目的を独特の調子で述べるのは同じ。
実はヴィハーンの外にアチャーンの調子が聞こえて来るので覗いたら、違いがわかった。

左がヴィハーン、背後に塔は基本の配置。敷地内に多くの堂宇が在り、それぞれに仏陀像が祀られている。右の堂宇には、

チャーマテーヴィ像、ハリプンチャイを建てたラヴォの王女。この堂の左側にはアティタヤラージ(クメールに奪われたラヴォを攻めた)の像が在る。

ヴィハーンの左側に、ラーンナーのムアンケオが建てたという経蔵

別の堂にはドンソン型ドラムが。おそらく20世紀の製作、先週ロッブリーのモンクット王の館に同様のドラムが在り、現在でも儀式などで鳴らす為に製造していると説明されていた。

この僧院ワット・プラタートハリプンチャイ・ウォーラマハヴィハーンの布薩堂、ここはシーマ(結界)を廻らした固有のウボソット(布薩堂)。

東側の門、こっちが正門

その前に道路が在って、その先は城市東側のクアン川。橋が屋根に覆われている。