ロッブリー美術のナーガに護られる仏陀

バン・ウィチャイェン、ナライ王が外国使節の宿舎として建てたもの。当時の西欧建築様式とタイ様式の折衷だった。
館の名は、ナライに取り立てられたギリシア人のコンスタンチン・フォルコンの称号チャオプラヤ・ウィチャイェンに因んだもので、館の西翼にフォルコンが住んだらしい。
東翼はフランス使節のシュヴァリエ・ドゥ・ショウモンとその使節団が使った。使節団にはカトリックの聖職者(ルイ14世はナライの改宗を狙っていた)も居た。

中央棟の背後に東西軸の建物、これが聖堂と見える。

地図を見るとその西、ロッブリー川の傍に市の柱が在る。

しかし、そこに在るのは中国寺院。尋ねると、これだと指したのは寺院の前縁の中程に建つ、
この石塔。
曰く因縁は、ラーマーヤナで勝利したシータが矢を放つとここに落ち、ハヌマーンの軍団に棲家としてその土地を与えたとする。だから猿がこの街に居る縁起。
話の運びも、何故ここに中国寺院なのかも不可思議。

その南にワットサオトントーン、ヴィハーンはナライ王の時代、ここにペルシアからの使節が滞在した館が在るとしてある。
僧に尋ねると、
これがその館。
中が見られるかと尋ねると、こころよくお見せ下さった。
二階建ての上屋は木造の古い立派な梁や床が残っているが、建物全体は修復されて、高僧か重要人物を迎える僧院のゲストルームの気配。

最後に、印象に残ったクメール初期のプランケークを別角度で、

列車でバンコクに行くつもりだったが、駅の手前にバンコクのモーチットBTSを通るミニバスがあったので、エアコンに惹かれてこれにした。

ロッブリー川を渡って南西に走り、バンコクに向かう国道32号線ヘ。
一般国道でも3車線に十分な路肩、最内は速度制限120キロ、どっかの国のお粗末な高速道路よりはるかに上等。
BTSモーチットまで2時間ちょっと。