モンクット王の居館だったピマンモンクット館が博物館の主展示棟になっている。


興味深い展示が多く、時代順に整理すると、


紀元前2000年期から、現在のロッブリーの北東方向にある山塊の間の考古学遺構で、銅や青銅の精錬・製造が行われていた痕跡が発見されている。
この地域には新石器時代から集住が連続している様子で、金属器時代になって銅地金を精錬している。
一般に東南アジアでは金属器が登場すると、青銅器と鉄器が時間差なく現れ、西欧式の青銅器時代から鉄器時代という区分はあまり意味がない。
最近の解説では金属器時代(Metal Age)という表現がされるようになって来た。
この地域でも、製鉄も併せて行われている。やはりナコンサワンからロッブリーに南下するときに目にした幾つかの小山は鉱物資源も含んでいた。

職人村のようなものが形成されていた可能性が有る。

次に重要な事は、この地図。
この緑色の部分は紀元前1000年期の海だったところ、シャム(タイランド)湾の水位は現在より3から4m位高く、チャオプラヤ河口平野は存在していない。オレンジ色は硬い地質の山塊。

ドヴァラヴァティ時代のシャム湾、湾の北端付近にロッブリーが位置している。
南東からチョンブリ、プラチンブリ、サラブリ、ロッブリー、スパンブリー、ナコンパトム、ラチャブリ、ペッチャブリーと、見事にドヴァラヴァティ時代の重要城市がシャム湾沿岸に並んでいる。

ロッブリー周辺のドヴァラヴァティ遺物

初めて見た転法輪を載せた柱。パッラヴァ文字でサンスクリット文が刻まれている。

ドヴァラヴァティのストッコ、ワットナコンコーサ出土

仏陀像

パッラヴァ文字碑文片、ほとんどはサンスクリット文としている。

仏陀像の台座にパッラヴァ文字

7世紀頃からクメールの影響が見られる。
サンプラカーン祠堂出土のヴィシュヌ像、年代は7世紀から8世紀としている。クメールの初期。

これもヴィシュヌか?年代不明

この博物館ではクメール期の出土品を『タイ国内のクメール美術』という表現で、クメール美術の各様式の変遷に沿って説明されている。
以前の、この時期全体を指す「ロッブリー美術(タイ中心史観の傾向)」という表現は無くなって、アンコール衰微期に登場する独自の表現を厳密に『ロッブリー美術』と呼んでいる。

10世紀、クメールのコーケー様式リンテル、ワットプラシーラッタナマハタート主塔(クメールの祠堂)前室南側。図象はインドラ。

11世紀、クメールのバプオン様式リンテル、サンプラカーン祠堂出土。図象はヴィシュヌ。

これがロッブリー美術の表現。13から14世紀、ワットプラシーラッタナマハタート出土。