厚い雲に覆われたまま、パラつく天気が続いて、少し晴れそうになってもまた逆戻り。

近くの、そう有名では無い僧院を覗く。ナイトバザールの北、ターペーロードの角に建つワット・ウプクット。沿革はやや不明もターペーロードとひとつ東のチャロンプラテートロードの角に高僧シリマンガラーチャラヤの像が在り、ラーンナーのムアンケオ(在位AD1495-1525)が師の為の僧院を建立したと有るから、これが縁起か。


ナイトバザールの在るチャンクランロード側

地元民の崇敬を集めているようで結構派手な僧院。上座部仏教と言うよりテーワダー(諸神)の像が並んでいる。

折しも、新たな寄進が行われるところに出くわした。

結構大きな祠に2m以上は有る神像がクレーンを使って設置されるところ。どうやら施主は右の本堂の脇に立つ御婦人。その手前でご覧になっている僧に尋ねたが、良くわからん名前のテーワダー(僧は良くご存知のポピュラーなテーワダーらしい)。

さて、ターペーロードを少し西に向かうと、小さな橋が在る。この位置では南北方向に流れているメーカー運河。この水路がチェンマイの外周城壁の堀だったと考えられる。

その先に

ワット・セーンファーン

入口の横に説明版が在って、ちょうど100年前の1923年、タイで最初に作られた映画(監督は外国人)の大事なシーンにこの場所が使われたそうな。

しかしこの僧院の縁起は結構古い。マンラーイの孫になるセーンプー(在位AD1325-1334)が建てたと言う。当時の構造物は殆ど残っていないが、『チェンマイ年代記』では、セーンプーの14世紀初めはチェンマイがラーンナーの中心には確定していない時期で、マンラーイの子とされるチャイソンクラムはチェンラーイに移って、息子のひとりセーンプーをチェンマイの統治にあたらせた。その後一族の間で主導権争いが有り、セーンプーの弟ナムトゥアムが一旦チェンマイを治めるが、父チャイソンクラムの不興をかってチェントゥンに左遷され、セーンプーがチェンマイの統治者に戻されたと伝える。
そのセーンプーは1327年にチェンセーンを建設して遷都、息子のカムフーをチェンマイの統治にあたらせている。

ワット・セーンファーンのヴィハーン(本堂)とタット(塔)、タットの基体は古いかも

ボソット(布薩堂)、ラーマ5世の側室ダーララッチャーミ王女(後期ラーンナーのチェンマイ王家)の寄進か。
この僧院は明確な布薩堂を持つラーンナー僧院の形を保っているように見える。

チェンマイの歴史に関して、
三王像の広場の後ろ、元の市役所がチェンマイ文化芸術館としてチェンマイの歴史を展示している。

この建物がなかなか立派

その向かいの裁判所だった建物はラーンナー郷土史博物館として、織布や僧院装飾、その他民俗学的展示をしている。