プランバナン遺跡地区に来てみて、実は大乗仏教寺院がプランバナンより早い時期に多数造営されていたことを知った。


これまで思い込みで、現在のジョグジャカルタの北東郊外に在るプランバナン寺院周辺の平野にマタラム王国があり、例の《インド化された王権》のイメージでヒンドゥーを受容した王国が形成されていたところ、8世紀初期に中部ジャワ北岸(カリンガ)のプカロンガンあたりから勢力を伸ばしたシュリヴィジャ(大乗仏教主流)がマタラム王国と接触し、通婚などの友好的関係を築いて大乗仏教型の巨大モニュメントであるボロブドゥールを平野の北西側、プランバナン地区から約50キロ離れた場所に造営したと考えていた。


しかし、プランバナン周辺の遺構の形とその推定建造年代を見ると、プランバナンだけがヒンドゥー寺院で、創建は諸説あるもののラカイピカタンの時期9世紀中葉(AD835-856)の可能性が高い。

周辺遺構はほぼ大乗仏教寺院もしくは僧院で、8世紀後半のサンジャヤ王権第2代ラカイパナンカラン(在位AD760-775)の時期からプランバナン寺院造営までの間に建造されている。

つまり、マタラム王国の初期は大乗仏教を信奉しているのである。


カラサン寺院、カラサン碑文によってAD778の建立とされる。
東が正面
前室が崩れているが東側の前室から主堂にアクセスする形。南、西、北は前室のみ。

主堂内部、中央が大きい三尊の配置と見える

主堂の頂部、八角の迫持積み

主堂から見るラトボコの丘

北側

カラサン寺院から600メートルほど北北東にあるのが、チャンディサリ

横長の長辺は南北方向で、内部は3房構成になっていて、木製の床を葺いて2層にした建物、入口は東側の中央のみ。初めて見た形で驚いたが、此の後プラオサン寺院で同様の構成を見ることに。
但しプラオサンはもっと大型で三尊像が各房に置かれていた。
このチャンディサリはそのサイズから、僧院か経蔵の可能性を感じる。
創建年代について、カラサン碑文にカラサン寺院とともに僧院を建てた記述があり、チャンディサリのことかと考えられている。
東正面

2階部分の床木を渡した受け口が判る
3つの房はこの大きさの入り口で繋がっている。

房の側壁に壁龕
短矩部、窓は上下に2個づつ

西側
壁面のレリーフ、このチャンディサリと先のカラサン寺院の外壁面に白漆喰が塗られていた可能性が言われている。

カラサン寺院からチャンディサリは歩いて数分だったが、次のプラオサン寺院はプランバナン寺院群の北端のチャンディセウから更に東北東に1キロほどの位置、チャンディサリから5キロ以上離れている。
ここも入場券売り場の女の子に頼むと、すぐにGrabバイクを呼んでくれた。