この沐浴場と女人の園という場所に近づいてみた。

これだけ段差があり、右上に見える謁見の間構造物の壁から北に歩いて斜面を探して下りる。
沐浴場と呼ばれるプール(貯水槽)の端を抜けて、
女人の園と呼ばれる壁に囲まれた中のプール。なんかこれは酒とかを造るか、染色工程か、何かしら作業場のように思えるが。

女人の園の壁に開いている北門(上の写真の右手奥に見える門)から沐浴場プール群の東側を北に戻ると、その更に東側の下がった位置に王女の館と呼ぶ構造物が在った。
女人の園東壁面から一段下がった東側の平地に、長方形の池と更に東側に2つの木造建築物の基壇。これがラトボコの最東端になる。
なんとも言えないが、これは南側のやや大きい基壇で礎石から柱の位置が知れる。
北側の基壇は西側三分の一が一段低くなっていて、その前には石が並んでいたような気配。
総合的に見て寺院か堂宇ではなかっただろうか。

最東端の基壇遺構から南西方向に丘の斜面に置かれた石造物は、積み直すと円形のストゥーパ型になる様子。

謁見の間の平面に戻って、真北に進み高台の上に、
岩に穿たれた洞窟群
ここは瞑想所であったとしている。

瞑想所から西に向かい、少し下ると正門の在る内苑に出て来る。

西に正門を見る。

さて、このラトボコは何時、誰によって、何の目的で、造られたのかだ。
目的も時代も幾つか重なっているように思う。
どちらかと言うと古い層に、サンジャヤの第2代王ラカイパナンカラン(在位AD760-775)が隠棲して修行場を造ったことは有りそう。この人物はチャンディセウを建設していて大乗仏教を推している。
もう一つは、立派な二重の門と強固な防御壁を持つ城砦化された王宮で、マタラム王国の混乱期に改修されたのではなかろうか。

気になるのは、民間伝承とされるロロジョングラン説話の、ロロジョングランの父がボコ王で、そこからこの場所をボコ王の宮殿と云う現在の呼称にしている。王女のロロジョングランは、父王を殺した簒奪者から結婚を迫られ、逃れるために、出来そうもない期限内に1000の寺院を建てればという条件を出す。しかし夜に働く精霊を動員した簒奪者は1000の寺院を完成しそうになる。そこでロロジョングランは詭計を案じ、鶏を鳴かせ、その声で夜明けかと怖れた精霊は霧散して1000個目の寺院は未完に終わった。だがこの詭計が露見すると、怒った簒奪者はロロジョングランを殺して石像にしたと云う。
色々想像を膨らませられるが、ロロジョングランが要求した寺院がチャンディセウだとすればボコ王も王女も大乗仏教推しで、それを弑逆した簒奪者は特殊能力の技術者集団を用い地元民を大量に動員しうる力があった。しかし反抗的な王女を殺して石像にするのは、先王の系統を取り込むことに失敗し、別の正統性の根拠としてシヴァ信仰を持ち出したとも読める。
また、ロロジョングランの背景にプラモダワルダニが有るとすれば、マタラム王国の初期はシャイレンドラと同じ大乗仏教推しで、もっと大胆に妄想すればシャイレンドラがサンジャヤで、ラカイピカタンが簒奪者でヒンドゥー教シヴァ信仰推しに変えたとも。
それなら、このラトボコは初期マタラム、シャイレンドラの王宮の可能性があって、ボロブドゥール周辺にシャイレンドラの王宮か王都らしいものが見当たらない(今後発見されるかも)のも腑に落ちる。

根拠の無い想像が膨らむが、あまり期待せずに訪れたラトボコで、面白いきっかけが色々見つけられた。この丘と周辺をもっと調査すれば、まだまだ何か有りそうな。
ボロブドゥール周辺も含めて、外国人観光客からぼったくりに近い料金で得た資金を、さらなる調査と研究に充てて欲しいものだ。

ラトボコにもバイクタクシーが居ない。遺跡事務所でGrabバイクを呼んで欲しいと掛け合うと、なんか関係者の若い男の子が、20,000ルピアで駅まで送ってくれた。
Brambanan駅からジョグジャカルタに戻る。