シュリヴィジャの歴史の流れで、室利仏逝が漢文史料に登場しなくなり代わって訶陵が現れる紀元8世紀頃、中部ジャワに存在したカリンガの名を使ってシュリヴィジャが唐に入貢した可能性が高い(以前に紹介した鈴木峻氏の『シュリヴィジャの歴史』)。

個人的に、シュリヴィジャの中心はマレー半島に在った(6から7世紀のチャイヤー·スラタニ周辺)と見ていて、7世紀後半に支配をジャワ方面に拡げ、中部ジャワのサンジャヤ王権と通婚して古マタラム王国を形成したと思われる。

この構図で、ボロブドゥールはシュリヴィジャ(大乗仏教要素)のジャワ島に於けるモニュメントではなかったかと考えている。

 

実は2014年から2016年にジャカルタに住んで、月に一度はスラバヤにも出かけていたが、ボロブドゥールを訪れる機会がなかった。

考古学の興味では、西ジャワ(スンダ語地域)のオランダ以前に存在したバンテン王国の王都らしき処(現在のセランの街の山手、Banten Girang)を訪れる機会は在った。ここはまさにイスラム化が起きた1500年代の王墓らしきものや、近隣の集落の中にそれ以前のヒンドゥー教的遺構が残っている。あまり知られていない様子だが、かなり重要な遺構。

ジャカルタ国立博物館は数回訪れてボロブドゥール周辺の石像類は見たが、紀元後から今に至るジャワ島の通史は描けていない(ジャカルタ国立博物館の見どころの一つはインドネシア領海から出た陶磁器類)。

西ジャワの考古学としては、紀元後の早い時期にタルム王国(読みのところでダルムから転輪王の可能性は無いのだろうか?)の名が文献に現れていて、ボゴール碑文(ボゴール周辺で発見された複数の碑文)という石の発見や、ジャカルタ近郊に水路跡が残る報告もある。

ジャカルタ国立博物館絡みで面白いのは、バンコク·ラッタナコーシン朝のラーマ5世はいたくジャワ島にご関心を示され、親しく行幸されて、現在の国立博物館の目印にもなっている象の彫像を下賜されている(ボゴール碑文の発見にも関係されたように記憶する)。アユタヤ朝の後継王朝として、アユタヤ以前の時代からも含めて、何かジャワ島との縁に思いをお持ちではなかったか。

 

スラバヤ周辺の東ジャワの考古学遺構は、幾つか訪れる機会があった。一番印象に残っているのは、スラバヤの南方60キロほど、バンギルの街の手前にある、グヌンガンシル Candi Gunung Gangsir と言うヒンドゥー遺構。東に開口部を持つ保存状態の良い塔状の建造物で、ヨニとリンガの破片が敷地に置かれている。おそらく塔の中間のテラスを持った開口部の中に在ったはず。

時代的にマジャパヒト(モジョポイト)王国以前、シンガサリ(シンゴソリ)王国のもの。

他にもこの地域には幾つか塔(Candi)が見られ、更に現在はそこそこ大きな街モジョケルトは、マジャパヒト(モジョポイト)王国の王都(マジャカルタ)で、多くの都市遺構に仏教寺院と見られる塔状建築物(西向きに開口部)が残っている。なので、中部ジャワから東部ジャワに移ったクディリ王国以後、東ジャワの流れは薄々分かって来た。ついでに、バリ島はイスラム化を嫌った東ジャワの人々が移って来て、イスラム化以前の文化を残しているという理解。

 

昨2022年にインドネシア文化省のあたりで、ボロブドゥール遺跡の外国人入場料をUS$100にする案が検討されているという情報があった。まだ値上げされていないようなので、少し接続が悪いがデンパサール経由で訪れることにした。

関西空港からデンパサール往復をキャセイにして、デンパサールからジョグジャカルタとスラバヤからデンパサールをインドネシアのLCCライオンエアー、ジョグジャカルタからスラバヤはインドネシア国鉄の旅程。

 

初めの香港乗り継ぎが最大の難所、夕方関西18:40発の香港着が21:00前後、デンパサール行きは翌日の10:00で12時間以上の待ち。

 

香港のラウンジで普洱茶とエッグタルトに生姜湯を固めたみたいな飴。
で、やっぱり午前2時前にラウンジを追い出される。去年は何故か大陸中国人のグループ(全員コロナ予防の全身防護服)が居て、なし崩しに朝まで寝てられた。
 
しょうがないので香港空港を散策。
 
以前から計画のあった小型機(エアバス320とかB737)用サテライトターミナルと本体を繋ぐ大きな橋が架けられていた。以前は連絡バス移動だったところ。搭乗口番号も一部変更されて、13から22がサテライトターミナルになっていた。
大型機がくぐれる連絡橋(ビルの10階ほどの高さ)の中に展望ポイントがあって、第3滑走路(既に供用開始)を含めた開発全体図が示されている(この連絡橋は Google Map で見られる)。
 
誰も居ないターミナル本体の南北回廊、シャトルトレインは停まっているが動く歩道は24時間稼働、ターミナル内にまばらにトランジット客。
 
午前5時15分過ぎにラウンジが開いたので、一番奥の仮眠室で8時前まで寝る。
 
皮蛋粥に炒麺
 
デンパサール空港はめちゃ混み(機長曰くNo.16、離着陸16番目)、バリ島の北側で2回、西側で2回旋回、40分ぐらい待機。
 
やっとデンパサール空港東向きに進入、窓の外はクタ、滑走路脇に離陸待ちの機体が5機列になっていた。入国はそんなに混んでいないから国内線の便が多いのか。ラマダン明けの最初の週末でインドネシア人の移動も多い。空港からのタクシーはぼったくりに近い料金。歩いても20分ほどのクタに今晩のホテルを予約して来たが、ブルーバード(インドネシアの定番タクシー)は350,000ルピア(約3500円)で論外、もう一軒のサクセスで値切って200,000、ホテルに着いてGrabの相場を聞くと50,000、クタでも空港に近いところなら歩いたほうが早い。
 
ホテル、海沿いではなく内側
 
クタの海辺、ホテルから6分ぐらい
 
 
海沿いに歩いて
 
 
夕暮れ
低い位置に雲があって沈むところは見えない