グーグルマップで、今泊まっているホテルの南西にクアラルンプールのリトルインディアが在るのを発見。このホテルもそうだがこの辺リはみんなインド系。

で、クリスマスも近いので、キリスト教各派のカテドラルをチェックしたら、シリア正教会カテドラル(Orthodox Syrian Cathedoral of St. Mary the Theotokos)というのがリトルインディアの先に在る。

定番の英国国教会とカトリックの司教座は、ここから少し北、英国植民地時代のクアラルンプール中心部に在る。

ホテルが在るKLセントラル駅周辺は英国時代からブリックフィールズ(Brickfields)という地区で、キリスト教各派の教会にヒンドゥー教寺院や仏教寺院まで揃っている。ルーテル派のカテドラルもこの地区に在る。

まったく知らなかったクアラルンプール(昔はブキビンタンのホテルに泊まって、マレーシアでの会社設立に関して会計事務所とミーティングとか、他は郊外の日系製造工場周り)で、しかも東方教会というのに興味を惹かれた。聖堂名もギリシア語の生神女がついている。


朝、リトルインディア方向に向かって、新しい感じの店で朝食。南インド系。

大きな樹木があって、その先がリトルインディア
リトルインディアからKLセントラル駅方向を見ると高層ビル群

ここで少し迷う。すぐ近くのはずで、通りの住民に聞くと、正教会は知らないが教会ならその先にもあると言われたのが、カトリックのファティマ聖母教会。ここで聞くと通りの先、坂の上に高層ビル建設現場があってその向かいに大きな十字架の付いたやつだろうと教えられる。

左に高層住宅建設現場

ここにあったのはルーテル派のカテドラル。やはりインド系の婦人に尋ねると、たぶんあれだね、と言って今来た道を戻ってファティマの聖母教会前から元の大通り、それを向かい側に渡った先の横道まで案内してくれる。
道々、あの高層住宅建設現場は、元は政府機関の土地で、前首相のナジブの妻が関係しているとか、どうも今のマレーシア人は政治批判を口にする。空港からの深夜タクシーでも、マレーシアの首相はダメなやつばかりだとか言っていた。別にマレーシアだけでなく、世界中ろくな首相は居ないのだと言ってもなかなか納得しなかった。この婦人に、自分的にはマハティールが良かったと思うけどと言ってみると、“リスペクトはしている、マレーシアの近代化を実現した。けれど、どの首相も初めは良いことをするが、長くその地位に居るとおかしくなる”。

果たして、やっと目指すシリア正教会カテドラルに行き着いた。

Orthodox Syrian Church Cathedoral of St. Mary the Theotokos と表示
聖堂内部、イコノスタシスは無く、内陣とは布で仕切り。十字架は縦方向に長め。

ここで教会関係者と話す。やはりインド系コミュニティで、ケララ州の出身者、話した彼はマレーシアでの3世代目。
この教会の系譜は、AD52年に使徒聖トマスが現在のケララ州コチ(Kochi、コーチンとも)の港(現在のKodungallur)に上陸し、イエスの教えを広めたことに始まる。この使徒聖トマスのインド布教はキリスト教会の共通認識かと思う。因みに聖トマスは現在のチェンナイ(マドラス)のMylaporeで殉教したとされ、墓所にサントメ大聖堂が建っている。
シリアの意味を確認すると、シリア典礼を用いていることで、実態はインド正教会。最高権威はインドの主教で、現在の礼拝では英語とマラヤーラム語を使っているとのこと。
シリア典礼インド正教会と言うべきか。
現在この教会に所属しているのは220世帯ほど、特徴はこのシリア典礼インド正教会の中で唯一の在外カテドラルであり、旧マラヤ(マレーシア·シンガポール)で唯一の聖堂であること。
ここで、2018年にマラヤ布教90周年を記念した出版物を貰った。
1928年にケララ州出身のインド正教徒だった医師が、息子の洗礼の必要もあってインドから修道司祭を招いたのが最初で、当初は英国国教会の施設などを借りて礼拝を行ったらしい。この聖堂の献堂は1958年4月。聖職者は第二次世界大戦前後の中断を挟んでインドから送られて来ている。
90周年記念誌を見ると、小さなインディアンコミュニティから見たこの地域の歴史(英国植民地時代、日本占領期、マラヤ連邦、独立、シンガポール分離、近代化)が見えて興味深い。

とは言え、ケララ州の教会を検索すると、やはりケララ州の中で、シリアカトリック教会(シリア典礼東方帰一教会)に、シリア正教会のヤコブ派と言うのもあって、三つ巴の情況が窺える。
アンティオキア(アンタキヤ)でも見たが、コミュニティが小規模であるが故にか、他との差別化によるアイデンティティの強調が感じられる。でも、この教会はフレンドリィな印象。