2018年11月に出直して、カンボジアのプノンペンからアンコールボレイを訪ねる。アンコールは「都」、ボレイは「古い」の意味、旧都とはおそらくここが「扶南」の都であったと考えられる。ちなみにプノムは「山」の意、「扶南」がプノムに由来するとする説は多い。

 

 まずプノンペンの国立博物館から。(2018年11月6日)

 

プノンペン国立博物館の中庭

ヴィシュヌ型像

後方二体はアンコール風、全体に肉付きがよい

 

観音像

 

 先のサイゴン歴史博物館でも見たが、ヴィシュヌ像と観音像に近似性が有る。極端に言えば、頭頂の冠部に化仏を彫れば観音みたいな。

 

 翌2018年11月7日、プノンペンから南下。

 

途中のプノンチソール、アンコール期の寺院跡が在るが今回は通過。

 

アンコールボレイ博物館、ヴィシュヌ像のレプリカ

ヨニ型台座に彫像を差し込むことが判った

 

パッラヴァ文字碑文

シヴァリンガ

仏像(時代が下るものか?)

アンコール期の装飾

 

庭にあった細胴の船、二人並んで40人ぐらい乗れるのでは。高速戦闘艇になるような。

 

アンコールボレイは運河に囲まれている

南に橋を渡って、集落を抜けて1㎞ほどで前方に、

プノムダ

 

この小山全体に祠や寺院が存在する。ふもとに在る自然石を掘り込んだ祠。

 

別の祠。

彫像が建っていたか?

 

山頂部に建つアンコール期の寺院、この面は盲扉

一面だけ開口

内部、ヨニ若しくは台座が数基残っている

 

露出した岩盤、白い帯は石英か?

また別の祠、前面に装飾壁が有ったのか?

 

プノムダの麓に居た牛、カンボジアに居る牛はアジアでは大型の印象

 

 

これが4世紀頃かと言われるヒンドゥー寺院、非常に良く残っている。

開口は一面で、内部は人ひとりが通れるほどの幅の回廊をめぐらした二重構造になっている。明らかにアンコール期のものとは違う建造物。

 

 おそらくこのプノムダはヒンドゥー寺院と修行者の聖地として始まったと見える。

 

寺院開口部からの眺め、アンコールボレイ方向だが町ははっきりとは見えず。

 

 むしろ、プノムダから南に道路を下ると、

道路以外は一面冠水した水田地帯

後方にプノムダ

前方に小島のように浮かぶプノムボレイ。

 

 このプノムボレイこそ、「扶南」の建国伝説に登場する王女(漢文史料では柳葉)が住んでいたところ。そこにインドのバラモンであるカウンディニャ(漢文史料では混填)がやって来て、この王女と結婚し王になったと言う。

 

プノムボレイに宿泊施設とレストランがあったので、このレストランで昼食。店の男は「背後の山に王女が棲んでいたのだ」と言う。

遥かヴェトナムまで水田が冠水していて、このあたりでは「昔から冠水するとヴェトナム側の漁民が漁に来る習わし」らしい。

鶏のロースト、魚のフライ、野菜サラダ、米

 

 このプノムボレイとプノムダこそが「扶南」だと思える。

 

 

東南アジアの海上交易(2)終わり