8 月 30 日

 

 最終日である。イスタンブール新空港からパリ行きの便は明日の04:25だから、深夜の01:00過ぎぐらいにホテルを出るつもり。毎朝朝食は一階のレストランに用意されているが、広めのレストランの壁一面にトルコ有名人の来店記念写真が貼られている。必ず写っている30歳ぐらいの青年シェフがオーナーらしい。壁の大型モニターには彼が大勢のグループ客の目の前で、大きな炎を上げて調理する映像が流れている。壁の写真には、スレイマンの娘役で見 覚えのある女優や、モデル風、サッカー選手らしいの、政治家まで居る。

 

朝食のテーブル

 

 ホテルのレセプションに居る女の子に訊くと、Burakというのはオーナーシェフの名前で、ホテルの向かい側の東方正教会の庭に隣接する建物(元は教会施設の一部だったと見える)のレストランで評判を取り、このホテルの建物は数年前に入手してホテルも始めたそうな。彼女の話ぶりでは、ちょっと目端の利いた青年実業家、自慢気でもある。

 

 さて、今日は日曜日である。午前中は、先週時間を外したコンスタンティノープル総主教座も含め、イスタンブール教会巡りをやってみる。

 

 初めに向かいのハギアトリアダ、立派な聖堂だが中に人影は少なく、ミサの準備をしている雰囲気。入り口を入ったところにある蝋燭台(正教会では参集者は皆蝋燭をあげている)に蝋燭を灯していると一人の男が声をかけてくる。彼はグルジア(ジョージア)からの観光客、旧ソヴィエト連邦であのスターリンの出身地であるが、トルコ東部の黒海沿岸地方で国境を接する隣国、グルジア正教会。

 

 次に、カトリックのカテドラル(司教座)はタクシム広場の北側に在るフランス系の聖エスプリ大聖堂。歩いて15分ほどかかるが、その前の通りはコンスタンティノープル総主教座の横を通るバスのルートで都合が良い。フランス系の高校が入る普通のビルに目立たない入り口が在り、中庭に大聖堂。アジア系の婦人が案内らしい小テーブルに座っている。やはりフィリピン人、長くイスタンブールに棲んでいるとのこと。アフリカ系の参集者で満員の聖堂は、これもアフリカ系の司祭が説教を始めるところ。

 

聖エスプリ大聖堂

 

 道に出た所に在るバス停から15分ほどで、コンスタンティノープル総主教座の聖ゲオルギオス大聖堂。

 

聖ゲオルギウス総主教座聖堂

 

 先週より1時間早く着いたのに、ちょうどミサが終わったところ。聖堂は未だ開いていて、堂内には乳香の香りが濃い。堂内の風景には確かに33年前の記憶がある。聖堂出口にひとつづつ袋に入れたパンが置かれている。正教会では本当のパンをミサの最後に配る、33年前は大きなパンを司祭が少しづつ分けて会衆の間を周っていた。ここでも蝋燭を献じて、パンをひとつ貰っていくことにする。中庭で司祭と話すと、やっぱり午後の4時頃に来いと言われる。

 

 またバスに乗ってガラタ地区に戻り、イスティクラル通りのイタリア系教会の様子を見に行く。聖アントニオ教会、フランチェスコ会系で中庭に聖フランチェスコとイスラム世界との関係を展示している。

 1219年に第5回十字軍が布陣するエジプトに渡るものの十字軍ではとりあってもらえず、供を一人連れただけで時のスルタン(アイユーブ朝第5代メレクアルカーミル)の陣営に入り込んで面会し、イスラム法学者と討論をしている。スルタンは鄭重にフランチェスコをもてなし、十字軍の陣営に送り届けている。

 ここもミサが終わったところだが、やっぱりアフリカ系が主力。

 

聖アントニオ教会

 

 この近くにもう一軒、小ぢんまりした正教会堂メリエムアナ(マリアアンナ)。ひっそりとして、堂内の参会者は数人だが、聖書奉献が行われているところ。内陣の司祭と会堂の司祭が応答し、内陣から聖書を掲げた司祭が現れ会堂内の朗唱台に登って聖書を朗唱する。今日一番の有難さを感じる。10分ほど雰囲気に浸って退出。

 

 昼食はホテルのオーナーBurak氏が最初に評判を取った店に。窓からハギアトリアダの中庭が望める。メニューは一般的で、アダナケバブを注文。

 特に美味いわけでもない。ホテルの写真の中に派手に炎を噴き上げて調理している姿があって、レセプションの娘に依ればキュネフェを作っているところ。キュネフェを注文する。

 これも普通、キュネフェはエジプシャンバザールの近くが一番。窓の外、ハギアトリアダの庭が良い。

 何故彼が大成功したのか疑問を感じたが、隣のテーブルの客が注文した料理が運ばれてきた時に秘密が判った。数人のテーブルで大き目の料理を注文すると目の前で炎を上げて調理している。

 携帯燃料みたいなもので炎を上げているが、それ別にそこで火を加える必要はないだろうと見える料理。つまり、パーフォーマンスショー、昔アメリカで成功した鉄板焼きレストランは客の目の前の鉄板で曲芸的に食材を扱って大受けした。パーティーなら盛り上がる。

 

 ホテルの部屋に戻って、地図を見ていると歩ける距離にガラタサライハマムと言うのが在る。スルタンバヤズィット2世が1481年にモスクと付属施設コンプレックスとして造ったもの。品の良さそうな公共浴場だが、但し現在休業となっている。

 その近くにアーハマムという、観光客向けに英語サイトの充実したハマムも在る。なんとこっちのほうが古い。コンスタンティノープルを落としたメフメト2世が1454年(コンスタンティノープル入城の翌年)に、当時狩り場だったこの地区に狩猟の館を建ててそこに個人用ハマムを備えたものとある。どうも今は観光の女性客狙いの美容スパみたいなサイトだが、まあその辺まで行って見る。

 ホテルの裏手、坂道が下りになって中型の病院とかも有る普通の居住区、生活感の漂う小商店や食べ物屋が並ぶ谷筋のあたりにアーハマムがあったが、小ぢんまりと した小奇麗な建物。1844年に31代スルタンアブデルマジドが大規模な改修を行ったと書いてあるから、19世紀でもスルタンの個人用だったということか。元狩猟の館というのに惹かれて来てみたが、その面影も1454年創建の雰囲気も無い。スレイマンのドラマでは、後宮には置きにくい女人を隠したりするのが狩猟の館で、それがここだったのかどうか。ここからイスティクラル通りに向かって登るとカフェや店が増える。

 

 夕方、イスティクラル通りの西側を歩いてみる。

夕暮れの街並み

 

 ガイドブックで民謡酒場が並ぶ小路というところは客が入りかけるところ。ビールを飲んでつまみを食べる風の店が並ぶ。酒飲みには良いところだろう。

 イスティクラル通りに出て戻りながら、さっき前を通って地味だけど良さそうと目を付けたロカンタで、じゃがいもとトマトで煮込む挽肉。今回のイスタンブール、最後の夕食は当たり。

 

煮込みキョフテ

 

 デザートは、3日続けて1854年創業の菓子屋。メニューのプリンが美味そうだが「今日は無い」、仕方なくフルーツケーキ。

 

 

メニュー               ケーキ

 

 ホテルの部屋で24:00まで横になって休む。飛行機を乗り継いだ移動時間が22時間で、実際はその前後に空港移動などがあるから体力は温存に努める。加えて、今回は関西空港到着後PCR検査を受けて、結果を待ってから公共交通機関を使わずに京都に帰らなければならない。公共交通機関を使うなとは、3月頃のPCR検査結果判定に数日かかっていた状況なら当然だが、今は2時間弱で判定でき、唾液を使ったPCR検査で信頼性は100%近いのだから陰性判定なら、マスクをして会話をせず距離を取る事で良いのではと思う。ま、日本国の役所仕事だから合理性が薄い。

 

 

(19)終わり