8 月 28 日
朝食の場所が一階から地下のレストランに替わっていて、ENKAと書かれた揃いのTシャツを着たグループが泊っている。ホテルの給仕に訊くと、イズミルのサッカーチームのサポーター。
10時前、タクシーでバスセンターに。イスタンブール行きの次のバスは11時発。問題はイスタンブールの何処で降りるのか。アジア側のバスセンターで降りてバスか地下鉄でフェリー乗り場の方が早い気もするが、「タクシム広場あたり」まで行きたいと言うと、アリベイキョイというところで降りればタクシム行きの無料連絡バ スが有ると言われる。
これも綺麗なバス このフルーツケーキ美味かった
走り出すと配られる軽食のフルーツケーキが良くできている。中進国のこの種の加工食品はどこか変な味がするものだが、トルコの加工食品は先進国で、しかも食材は圧倒的に豊か。
立派な高速道路の両側の風景は、丘陵地にオリーヴの樹、その間に少しブドウも。丘に貼りつく様に村があって、モスクでなく教会が建っていればトスカーナの風景とよく似ている。
オリーヴ畑
ゲムリクの街(ここの黒オリーヴ良い)
オスマンガジ橋
2時間弱でアジア側のバスセンターに着く。地図で確認すると、そこからボスポラスの第一橋も第二橋もそう 遠くない。しかし、ここからバスは大周りに北上して黒海の入り口に架かるポスポラス第三橋を渡る。
ボスポラス第三橋黒海入り口
新しい道路で通行量もまばらだが、イスタンブール新空港の手前まで行って南下する。結局、アジア側のバスセンターから1時間以上かかって、アリベイキョイターミナルに着く。さてここも街はずれで、言われたタクシム行きの連絡バス乗り場は有るものの、次は40分後。タクシーに乗る。走り出すと、ここでもトラムの延長工事が進んでいて、いずれトラムが繋がる予定。
郊外の街並みは続いていて、そのうち小川みたいなものが流れ込む公園の脇を走る。運転手が言う「金角湾」。ここは金角湾の一番奥のところ。そのうち、見慣れた金角湾の風景が現れる。今日のホテルはそこそこ知られているのか、タクシム広場から一本南側の道に、運転手は迷わず「ここだ」と着ける。ホテルの向かいは立派な東方正教会。
ハギアトリアダ正教会
チェックインして、タクシム広場の地下から新しいケーブルカーでカバタシュに下り、トラムでガラタ橋へ。定番の鯖サンドを試す。ガラタ橋のエミノニュ側に鯖サンド屋が並んでいる。魚好きの人には良いのかもしれないが、私的には生臭い、小骨有る、でレモンをかけても好みにはならず。
ガラタ橋付近、後方はイェニジャーミィ
鯖サンド屋が並ぶ、後方にガラタ塔
金色の屋根は鯖サンド屋の船
エジプシャンバザールの横道を歩いて、「スマック」という香辛料を探す。これはすぐ見つかる。ここを通るたびに気になるいつも列ができている店。珈琲豆なのか、珈琲に合う焼菓子なのか、紙袋入りの何かをみんな買って行く。
エジプシャンバザールの横道
いつも列が出来ている店
カフェ
午後5時を過ぎているが陽は強く、空気はまだ暑い。歩かないで涼めるところと言えばフェリーである。カドキョイ行きのフェリーに乗って、カドキョイ(昔のカルケドン)から陽が沈むのを眺めることにする。
見慣れたトプカプとアヤソフィア
新市街の高層ビル群
ハイダルパシャ駅は修復中
カドキョイ埠頭に着く
カドキョイの桟橋で夕陽が落ちるところを待つ。ここらの店でも鯖サンドを売っていて、値段はガラタ橋の3分の2。
夕暮を眺める人々
アヤソフィアとアフメットジャーミィのシルエット
陽が落ちたので、戻ろうとフェリーに乗るとカドキョイ埠頭の空には月が出ている。
カドキョイの上に月
アジア側に懸かる月
フェリーから見るアヤソフィアとアフメットジャーミィのシルエット
イスタンブール夕暮の光芒
アジア側
灯の入ったガラタ橋とスレイマニエ
ガラタ橋の北側カラキョイ埠頭で降りて、3度目になるガラタ橋の下のレストラン。知り合いになった連中に「日曜日の夜、日本に帰る」と告げる。メニューは初日に衝撃を受けた小海老の炒め、ワインを一口試す。
ブルサの辺りの風土なら充分ワインができるはず。と言うか、エーゲ海のアジア側も古代ギリシア世界だったから、無いわけがない。このワインは、今どきの標準的なカヴェルネソーヴィニョン系の味。うーん、風土的に牛がキアニーナで、ワインはサンジョヴェーゼと行きたい。
タクシム広場に戻って、ホテルの手前のイスティクラル通りに菓子専門店。創業者の絵と創業1864年(文久4年元治元年、明治より前)の文字。一階はショーケースと売り場、二階と三階がカフェで食べられる。なかなか凝った造りの菓子が並んでいる。ピスタチオを使ったやつにする、一人前で4個。
菓子各種 ピスタチオを使った菓子
世界中、甘いものが有る街は文化が高い。いや、文化があるところに甘いものが進化する。トプカプ宮殿にはデザート作りの厨房と専門調理人が居た。その前に、ビザンツの時代、十字軍でやって来た西欧の田舎者はビザンツのケーキに驚いている(魚ケーキと書いてあるが実態は不明)。
(17)終わり