8 月 27 日

 

 旧市街の東側に在るイェシルジャーミィ(緑のモスク)へ。33年前のかすかな記憶がある。乗り合いタクシーでヘイケルまで行って、やや山手を東に向かって歩く。昨日のロープウェイからの帰りにも通った道で、橋が架かった渓谷がひとつ在る。橋の上から見ると狭い谷間で渓流が流れている。景色が良いので谷の両側はカフェで、店は橋から下の渓流の傍まで続いている。まだ朝早くでカフェの営業は始まっていないが、店の中を降りてみる。

 

渓谷の橋

渓流まで降りて橋を見る 

 

 カフェの一番下に鉄格子扉があって、そこから渓流まで降りられる。掃除をしているおっちゃんに、扉を開けて降りてもいいか尋ねるとOK。

 

渓流

 

 綺麗な水だが水量は細い。渓流に沿って小道があるので下って行くと、橋の上に木造の建物が乗った橋が在る。今はアーティストの工房と店があるよう。

 

最初の橋の下

二番目の橋

 

 上に上がれる道がやっと在ったので、渓谷から離れてイェシルジャーミィを目指す。最初の橋の近くまで戻って、東に進むと見覚えのある屋根が見えてきた。これは緑の廟(イェシルテュルベ)の屋根。メフメト1世が1421年に建てた廟。グリーンのタイルが特徴的。

 

道の奥にイェシルテュルベ(緑の廟)の屋根

 

 敷地内の高台に廟が在って、神学校(今は博物館)とイェシルジャーミィが隣接している。

 

イェシルテュルベ

廟内

 

 イェシルジャーミィ(緑のモスク)は、メフメト1世が1419年に着手し、1424年に完成した。緑を基調としたタイル装飾も含め、このイェシルジャーミィコンプレックスは、それまでの建築手法を脱して、初期オスマン建築の傑作とされている。

 

イェシルジャーミィ前庭

イェシルジャーミィ

内部、創建時の泉は内部に在る

ミフラーブ(メッカの方角を示す装飾)

イェシルジャーミィ側面 

 

 イェシルジャーミィの横のカフェでチャイをして、正面側から狭く急な坂道を下ると、初日にタクシーの若い運転手と迷い込んだところで、初日に断られたホテルがあった。地図では、この先の小広場を旧式のトラムが通っているはず。確かに線路があってそれを辿ると、車庫とそこに留め置かれた車両。今は運行していない。運行していないトラムの線路を旧市街中心部方向に進むと、商店が増えてバザール地区の北の端をレールが通っている。

 

 この辺りは果物・野菜市場、見慣れたものも見慣れないものもあるが、どれも力強い。

香草?

瓜の種類?

リンゴ、梨、ブドウ

胡瓜、茄子、豆 

 

 今日もコザハンでチャイして、バザールの中のケバブ屋街の一軒でトマトとキョフテ(ハンバーグ)。

コザハン

トマトキョフテ

 

 旧市街を歩くと生活感の濃い地区、伝統家屋を使ったホテル、競馬中継のテレビが在る茶店、おっさん世界。この地区で老舗のチャクルアーハマム(チャクルアー浴場)を覗いてみる。ハマムは温泉ではなく蒸気浴、地元のおっさんの行きつけみたいな場所。

 

パン屋

伝統家屋

 

 ホテルに戻って、向かいの旧浴場温泉に。温泉からバス通りに上る階段の途中に、おっさん連中がいつも溜まっている茶店が在る。店の中にはブルサのフットボールチームの旗があって、古い写真も並んでいる。店の主人らしいおっさんが、こっちに座れと表の風通しが良い席を勧める。どうやらこの店は、昔のフットボールチームの選手だった人に縁があるらしい。

 

 ブルサ最後の夕食は、ラウンドアバウトの並びにあるレストランで、表に出した手書きの看板に「Steak」の文字があって気になっていた店に。羊肉がほとんどのトルコで、牛肉は無いものかと思っていたから、このステーキが牛かどうかを確かめてみた。牛肉があるのか訊くと、『10年ぐらいこの地方の牧場で作っている』と言って、あばら骨のついたイタリアではビステッカという部位。見た目合格、値段はこれで2000円ぐらい。ミディアムウェルぐらいに焼いてと注文。

 

 ステーキ             ミックスサラダはオリーヴ油と塩で

 

 カリッとした脂身はさっぱりとした味、赤身のところに臭みは無い、火をある程度通しても硬くない、悪い肉ではない。しかし、最大の問題はあっさりし過ぎて肉の味も薄いこと。うーむ、惜しい。

 

 実はここの牛肉というのに期待が大きかった。地図を見ても、ブルサから西に約300㎞、マルマラ海がダーダネルス海峡を経てエー ゲ海に入ったところに在るのがトロイの遺跡、今の道路で4時間ほどの距離。トロイは木馬の故事で有名なトロイ戦争で、ギリシア本土軍に負けたギリシア系都市国家。話はここからである。「負けたトロイの英雄アエネーイスはイタリアに辿り着きローマの祖先になる」というのが紀元前1世紀のローマ詩人ヴェルギリウス(BC19没) が晩年に残した『アエネーイス』の筋である。一方、イタリア中部のエトルリアには、自分たちは小アジアから来た、トロイの末裔であるという語りがある。ローマは文化的にはエトルリアを継承したもので、ヴェルギリウスがトロイからの英雄がローマの始祖になったとする構図には充分な背景がある。そして、エトルリアでは牛は重要な動物で、犠牲に捧げるのに第一の獣である。当然神に捧げた牛はみんなで食する。今のトスカーナでも牛は聖なる獣(フィレンツェの復活祭に花火仕掛けの山車を引くのは白い牛、シエナの競馬パリオの賞品は白い牛)であって、美味な食材でもある。私見では、世界中で牛が美味いのは、日本の和牛、二番目がトスカーナのキアニーナ(キアーナ地区の牛)、三番目がアルゼンチン牛かと思っている。これらは単純に焼いただけで美味しく、脂身が食べられる。そんなわけで、ここブルサで美味い牛ができると思う。

 

 食べ終わるころに店の主がやって来て、「どうだ?」と言うから、「脂身は食べられるし、臭みは無いし、いい肉だと思うけど、肉の味が薄い」と正直に言う。「日本では2週間ぐらい熟成することも有る」と言うと、彼も熟成は知っていた。トスカーナのキアーナ牛というのも知っていて、ただ食べたことが無いと言うから、トロイとエトルリアの関係を話して、是非一度食べに行けと勧めておく。彼は「3年前に日本に行った」と言って、スマホの写真を見せる。東京に友達が居て、その後旅行したと、伏見稲荷の鳥居、清水寺の舞台、京都市地下鉄の切符、なども写っている。でも、「美味しかったのは新宿で食べた寿司に蕎麦」と言うから、「日本料理と言うなら、京都の伝統的な料理屋で、一人€300 ぐらい出して食べてみて欲しい」と言っておく。彼は牛肉の生産にいろいろ工夫しているようで、是非とも頑張って欲しい。

 

 

(16)終わり