8 月 26 日

 

 朝食後乗り合いタクシーで旧市街中心へ。昨日の城塞があったところから少し先にウルジャーミィ(大モスク)があって、その先でタクシー降り場。ここも広場になっていて、カフェとかベンチが在る。

 広場に面した低層の建築で入り口が在るのが隊商宿のひとつコザハン。隊商宿と言うが昔のショッピングセンターみたいなもの。本来は、一階部分に取引所・倉庫・厩舎・管理人宿所、二階に隊商商人の宿で、卸売商人が店舗を持つことも有り、一階の取引所や回廊部で売買が行われ、行商人は卸売商人から仕入れて農村部や遠隔地に売りに行くシステム。基本は方形の二階建て建築で、中心部は中庭で泉が在る。回廊状の一階と二階にそれぞれ一定の間口の店舗が並ぶ。

 

コザハン入り口

コザハン二階回廊

中庭に管理棟?周りは茶店

 

 コザハンは1492年にバヤズィット2世がイスタンブールで建築中のバヤズィットジャーミィと神学校の資金源にと建てた。コザは絹、ハンはアラブ語ハーン(隊商宿)で、絹商品の隊商宿。ウルジャーミィ(大モスク)に隣接するバザール地区の中に、新たに大き目の隊商宿を新設してモスクの建築資金にと考えるわけだから、15世紀末の絹取引に関する収益が相当にあったということか。現在は一階、二階とも絹製品を中心と した卸・小売店舗になっている。

 

 コザハンの正面側に出ると、数個の隊商宿が連なるバザール地区。屋根に覆われた通路が隊商宿を繋いでいて、店舗の間に出前のチャイを配る店も。中央部の通路周辺は二層構造になっていて、地下にも店舗。安価な衣料品の卸商が並ぶところはバンコクの衣料品市場と同じ空気。

 

タオルはブルサの特産らしい

旗はブルサのフットボールチーム

店に出前するチャイ店


貴金属地区

通路の下にもう一層

下層の卸売店

 

この床が上等

エスキイペックハン

 

 

ピリンチュハン

 

 

 ウルジャーミィ(大モスク)は、1398年から1400年にかけてバヤズィット1世によって建てられた。オスマン建築としては初の大型モスクである。アラブ文字のカリグラフィーは有名。また、礼拝前の清めの泉が建物内部に取り込まれている。或いは、モスク前庭の泉部分まで屋根を掛けたと言えるか。今はこの内部の泉は使用禁止らしく、周りに柵が設けられている。

 

ウルジャーミィ

 

内部に取り込まれた泉

普段は使われない泉

ミフラーブ

 

 各ハンの中庭には茶店やレストランがあって、若者向けから落ち着いて雰囲気のあるものまで、様々。小奇麗なハンの茶店でチャイをする。隣のテーブルに居た40代ぐらいのカップルの男が「日本人か?」と英語で話しかけてくる。ドイツに住んでるトルコ人。ベルリンでタクシーの運転手をしていて、親戚を訪ねてのトルコ旅行。西ドイツには第二次大戦後大勢のトルコ人が期間限定労働者として雇われ、結果的にドイツ国籍を取得して住む者も多い。今のサッカーのドイツナショナルチームにもトルコ系がかなりいる。「昔からトルコと日本は仲が良い」と言うから、「150年ぐらい前に難破した船を救った話だろう」と答える。「日本人は優秀だ」と言う から、「トルコもそうだし、中東からインド、アジアにかけて日本人の評価が高いのは、ロシアに勝ったからだろう。それまで、世界は白人がエライし、他の人種は使われるだけで勝てないと思っていたのに、なんか極東の果ての日本と言うのがロシアに勝ってしまった。白人に勝ったというのが大きかったと思う」。「しかし優秀だろう」 と重ねて言うから、「兵隊は優秀。誰でも読み書き計算ができて、命令されたことはきっちり遂行する。問題は将で、はっきり言って無能、大局を見て戦略を立てるとか、想定外の事態に自らリスクを負って迅速に適切な方針を出し、合理的で有効な指導力を発揮する能力は無い。今回のCOVID-19への対応でも典型的。兵が優秀だから無能な将が無くならない、これが日本の弱点」と言ってしまう。

 話題を換えて、気になっていたことを訊いてみた。「マスジットとモスクの違いは何?」、これは連れの夫人のほうが詳しくてトルコ語で説明して夫曰く 「マスジットは礼拝所、空港の中とかによくあるムスリムが個人的に祈る為の場所、モスクは共同礼拝が有ると ころ」と、明快な答。そうではないかと思っていたが、東南アジアでは大きなモスクでも『マスジット』と表記しているので、不確かな感じがあった。

 

ハンの中庭

 

 ブルサの大モスクとバザール地区は今回が初めてだったが、バザール部分の充実に、オスマン朝初期の東西交易の重要性と経済規模を知らされた。大モスクはオスマン朝初の大モスク建築という事だが、これを建てることになったバヤズィット1世の1396年のニコポリス(現在のブルガリア、ドナウ河沿いの街)の戦いに於ける、西欧連合軍に対する大勝利というのが当時の大事件だったらしい。小アジアに出現したオスマントルコという勢力が、いずれビザンツを終焉させ、西欧を脅かす存在になる新時代の可能性を示した闘いだったか。

 

 昼を過ぎて、もうひとつブルサで初めての場所、ロープウェイに乗って背後のウルダウに登ることにする。ヘイケルの通りからタクシーで少し山手のテレフェリキ(ロープウェイ)乗り場へ。2012年に改修された新しい設備。6人乗りぐらいのゴンドラがスキー場のリフトのように連続的に回っている。

 

ロープウェイ乗り場

 

 コロナ対策で、人が降りたゴンドラは消毒剤を撒いて、一回は空運行。人出はまばらなので、個人客は一人1台。急な斜面をグングン上昇し、海抜1231m地点に中継点があってロープと方向が変わる。下から上がって来たゴンドラは、中継点で一旦ロー プを外れ、送り装置によって次のロープを掴む位置まで送られる。2本目のロープの終わりが海抜1635m地点。運行しているのはここまで、所用25分。

 

出発して

一気に上昇

中継点を過ぎて

更に昇る

 

 ここからもう一本ロープが在るが、このセクションの高低差は300m程度。冬場は今上がって来た1635m地点で雪があってスキー場になり、この先はスキー場内の移動。

冬は雪が有ってスキー場、左に三段目のロープと支柱

岩が露出している 

 

 天気は良いが、空気は涼しい、上着を羽織る。この位置にホテルが在り、中庭にレストラン。ホテルの中に、直ぐ焼けるように準備した肉類を冷蔵のショーケースに並べ、量り売りで売るコーナーが有り、肉を選んで庭の席に着くと、若い給仕が炭火のコンロを持ってくる。

 

ホテル

 

鶏肉の串焼きと挽肉ハンバーグ状を選んで、自分で焼く。美味い。

 

 山を降りて、帰りはロープウェイ乗り場から乗り合いタクシーを乗り継いでホテルに戻る。時刻は16:00過ぎ、今日はもう一軒の温泉浴場イェニカプルジャ(新浴場)に出かけてみる。こちらは1552年、スルタンスレイマンの娘ミフリマーフの婿リュステムパシャが建てた。テレビドラマで見る限り、自尊心は最強で性格は胸くそ悪い皇女と、成り上がる為に人殺しも平気な腹黒の野心家という、嫌な奴らではあるが、それはともかく、この新浴場は場所が悪い。歩けば20分から30分、乗り合いタクシーのルートからは離れている。タクシーで数分、20トルコリラ(300 円)ぐらい。新浴場は旧浴場に較べ少し大き目で、浴場の構成は同じ。こちらのほうは、入浴 料が旧浴場の半分ぐらい(約800円)で普通の客が多い。日本の銭湯のようなノリ。温泉浴槽の温度が高め、日本人の熱い風呂が好きな人たち向きの42℃ぐらいありそう。どうやらトルコの浴場は世界でも珍しい高温好み。しかし、帰りもタクシーを探して戻るから、私的には旧浴場と同じ費用。

 

 夕食はラウンドアバウトから少し坂道を登る位置の店。一組の家族が先客で、近所の人らしい。注文を取っているのは、家族連れ客の妻の同級生かと思える。注文を取っているのはこの店の娘で、調理しているのは父親だろうと想像する。ここも焼き物が主力なので、羊の焼き物にする。初めに出てくる薄手のパンと前菜が良かった。

右奥がパン、左から玉ねぎの煮込み、生玉ねぎ、香草 3 種、玉ねぎ漬け込み、煮込みトマト味、手前ヨーグルト

 

メイン羊肉焼き物              キュネフェ 

 

 羊肉は角切りにして串焼きしたもので、串を抜いて薄生地パンに乗せて出てくる。羊の臭いは無く、柔らかい肉で良い。子羊肉の良いやつは牛肉の上等なやつに近い。娘に勧められたスイートはちょっと大ぶりのキュネフェだった。これはイスタンブールのエジプシャンバザールの近くにあったのが一番。とは言え、地元密着風のこの店は悪くない。

 

(15)終わり