8 月 24 日

 

 ホテルで朝食後、10時過ぎに地下鉄シシュハネ駅に向かう。地下鉄2号線で「4.LEVENT」という駅まで行くと、徒歩5分ほどの位置にサビハ空港行きのバス出発点が在るのをグーグルマップで調べ済み。「LEVENT」という駅の次に「4.LEVENT」があるから、レヴェント4丁目みたいなものか?

 

地下鉄で

 

 駅員に空港バス乗り場はこの出口で良いか確認すると、『その先のエスカレーターで地上に出て真っすぐ』。地上に出ると高層ビルが並んでいる地区、とは言えビルとビルの間に広い空間が在る。

 

4.レヴェント 

 

 バス乗り場は直ぐあった。高速に入って、第二ボスポラス橋を渡る。アジア側に入って、数か所高速から降りたところの停留所に寄り、1時間ほどでサビハ・ギョクチェン空港に着く。

 

ボスポラス第二橋、右手にルメリヒサル

 

 チェックインは自動化されている。トルコでは持ち込み手荷物は1個に制限されていて、預け荷物のチェックインも、機械に搭乗券を読み取らせて送り先タグ(目的地空港名と便名が入った短冊、荷物の取っ手などに通して貼り付ける)をプリントアウトし、小さな引換スリップ部分を自分の搭乗券に貼って、タグを取り付けた荷物を無人カウンターのベルトに乗せる。重量やタグを機械が確認して、問題が無ければベルトが自動的に動いて、荷物を奥のコンベヤーベルトに送る。

 まだ2時間以上待ち時間があるので、何か食べておくことにする。菓子だけでいいかと考えたが、もうちょっと何かないかとメニューを見ると卵料理がある。

 

 

定番の菓子バクラワ                細切れのソーセージ入り卵料理

 

 今日から4泊する予定のホテルから、『何時に着くのか?Taxi は必要か?』とSNSで訊いてくる。到着予定時刻と、自力でホテルまで行けると返事する。

 やっと搭乗時間になったので、ゲートに向かう。結構乗客は多い、100人以上は居る。エコノミー客の搭乗になって搭乗口に向かう。搭乗券とパスポートをチェックしている係員が、『PCR 検査の証明は?』と訊く。『日本人は、トルコ入国や国内移動に何も要求されてない』と答えると、『PCR陰性証明が無いと搭乗できません』。そんなアホな話がと思っていると、別の係員が来てパスポートを預かり何処かと連絡している。答えは『No』、そうこうするうちに、搭乗は進んで、結局搭乗口に何かしら問題のある客が10名ほど残った。ホテルからまたSNSで「どうなってる、エルジャン空港に着いたら教えてくれ」って、外人は飛行機に乗るのに何らかのトラブルが有ることを予想しているのか。残っている10人ほどはあれこれ言って、何とか搭乗しようとするが、ダメ。中にちょっと上品なマダム、連れはトルコ人らしいが、彼女はイランパスポート、『北キプロスはトルコ国内扱いじ ゃないのか?』と、私と同じ考え。係員は、「国際線扱いです、パスポートにトルコの出国スタンプを押してます」。結局、係員に付き添われて全員パスポートチェックゲートで、出国スタンプに「VOID」を押され、機体から降ろされた預け荷物を受け取る。この空港の到着階にPCR検査を行うクリニックが在って、そこで検査を受けて陰性なら3日後に乗れると教えられるが、そんな時間は無い。

 

 うーん、思わぬ落とし穴がここにあった。ホテルには「行けないからキャンセル」の通知をし、ペガサス航空の窓口でキャンセル手続き、LCCだが帰り便の分はちょっと返金してくれる。さて、4泊分の日程が白紙になった。その後の3泊はイスタンブールのホテルに予約している。ここで現実的な選択は、この空港から移動可能で、気の利いたところが在るか。

 

 すったもんだで時刻は16:00ぐらい、バス便があるところでと考えればブルサである。ブルサは、13世紀末に小アジアで支配を確立したオスマン朝の二代目君主オルハンが、ビザンツ領だった都市プロウサを1326年頃に占領し、1365年まで首都とした。初代オスマン、二代オルハンの廟が在る。ヨーロッパ側に進出したオスマン朝がエディルネ(アドリアノープル)を拠点としても、イスタンブール(コンスタンティノープル)奪取まで、東西交易の終着点としてブルサはオスマン朝の重要都市であった。なんと言ってもブルサの押しは、温泉が在ること。33年前にブルサで1泊した。背後には冬はスキー場になる2000m以上の山が迫り、『緑のブルサ』と呼ばれるとおり(メフメト1世が1424年に建てたモスクと、メフメト1世を安置した廟のタイルがグリーンと言うのも あるが)、土地も緑豊かな印象。安めのホテルだったが、バスタブに温泉が引かれていた。

 ブルサ行きのバスは2席+1席のレイアウト、車内WiFi装備の綺麗なやつ。直ぐに高速道路に入り、30分ばかり走ると前方に海を渡る吊り橋が見えてくる。この海はマルマラ海がイズミットまで入り込んでいるところ、昔の車は海に沿って大回りするか、この橋の少し西にあるヤロヴァへのフェリーに乗るかだった。バスは橋を数分で渡る。時間にして2時間は短縮されている。

 

オスマンガジ橋

みんな写メ

西側の景色、エーゲ海と黒海につながる

東側の景色、この奥にイズミット

 

 起伏のある地形を高い橋梁とトンネルで抜けて行く真新しい高速道路を1時間半ばかりで、ブルサ郊外のバスセンターに到着。どこの街も、ひと昔前は市内にバスセンターが在ったものだが、今は長距離バスを市内に入れずに、高速道路などのアクセスが良い郊外に移している。従って市中心部への移動が課題になる。ブルサではトラムのレールがバスセンターまで伸びて来ているが、架線や駅設備を建設中。そろそろ陽が暮れかけるから、Taxiで市内に向かう。

 33年前に訪れているが市街の記憶は全くない。温泉が引き込まれた宿は鄙びた坂道に宿屋が並んでいたような。英語があまり得意ではない若い運転手に、とにかく街の中心に行こうと言う。中央部にトラム敷設の工事をしている広い一本道を20分ほど走ると、ショッピングセンターと大き目のホテルなどが在る近代的な広場、ここが今の市の中心らしい。これは味が無い。

 旧市街は何処だと訊くと、大モスクとかバザールが在る所ならと、この辺りから南に向かっては山裾の傾斜で、街全体が登りになっている。夕方のラッシュ時で車が多い道を登って短い道路橋を回り込むと、大モスクがある地区。旧市街だが商店や銀行にカフェなど、ちょっと鄙びたホテル街みたいなものはない。なんか緑色のモスクが在って細めの道でと言うと、大通りから脇道に入って坂を上がり古い外観の建物が並ぶ道を進む、おっ、これはいい感じかなと思ったとたん店もほとんどない住宅地区になった。緑のモスクがチラッと見えた先の狭い駐車スペースに止めて検討。

 WiFi が無い環境で、ホテル予約サイトが見られないのは痛い。そろそろ暗くなりかけて、運転手の兄ちゃんと、とにかくなんでもいいからホテルを決めようという事にする。辺りに居た近所の若者みたいなのに運転手が話して、この坂をちょっと降りたところに一軒在るらしいとのこと。確かに少し下って大通りになる手前に、外観はトルコ伝統建築風の建物でホテルの看板。設備が古いかもしれないが、いい雰囲気はある。入り口を入ったところに居た初老の男に部屋が在るか尋ねると「満室」の返事。コロナで観光客は減ってるし、このホテルの位置だと移動セールスマンやビジネス客には不向き、「満室」が本当かどうか判らんが、インターネットの予約サイトの客ならともかく、得体の知れない東洋人の飛び込みは、小規模経営の宿なら断るわなと思う。

 ここは、運転手の兄ちゃんに頼んで、とにかく今晩1泊できる宿を訊いてもらう。Taxi会社なのか気の利いた友達なのか、電話して、空いてる部屋が在るという ホテルに。最初に入って来た市の中心という広場の近く。確かにこの辺りは行商人や、ちょっと田舎から街に用が在って出て来た人が利用する宿屋街。1泊1500円ぐらい、WiFi があってエレベーターもあるのでOK。部屋は安い家具で、電気も枕元にはない、一番の問題は薄いカーテンが1枚で、朝は絶対目が覚める。

 近ごろはホテル予約サイトで、簡単に気の利いたホテルが安価に予約できるから、現地に夕方着いてからの宿さがしなど何十年ぶりのこと、インターネットの有難さを改めて感じた。部屋に入って、まず明日から3泊のホテル探し。うむ、小奇麗なホテルがお安い値段ですぐ見つかる。

 

 ひと安心して食事に出る。広場のほうに歩くと、ロカンタ。

茄子と挽肉、米、鶏スープ、チェリージュース 

 

 このスープ、鶏がらスープに近いがレモンを絞ってと言うのが面白い。

 

 

(13)終わり