広場の地表面から階段を少し降りた土産物屋街の入り口に食堂カフェ。ここで定番のアダナケバブ。

 

アダナケバブ

 

土産物屋街

大宮殿モザイク博物館入り口

西側土産物屋街の後ろにスルタンアフメットが建っている

 

 大宮殿モザイク博物館は土産物屋街の中ほどに、東側への抜け道があって、そこを出たところに入り口が在る。土産物屋街の裏道という、何やらわかりにくい場所だが、1204年の第4回十字軍によってコンスタンティノー プルを追われるまで、数百年に渡って東地中海世界の中心であったビザンツ帝国の大宮殿が建っていた場所である。訪れる人も少ないが、地下の東西方向の細長い空間に床モザイクが出土している。元は大きな部屋の一部だったのか、ゆったりとした空間に動植物や風景が描かれている。全体に色調は明るい。復元図を見ると大宮殿は複合建築物で、競馬場側は観客席と一体になっていた様子。モザイク博物館は土産物屋街の下で交差する形で、出口は反対側の土産物屋の間に在った。

 

大宮殿復元図

モザイク

 

 次に目指すのは、ユスティニアヌス時代に建てられ、現存する最古のビザンツ建築とされるキュチュックアヤソフィア(小さなアヤソフィア)モスク。地図で見ると、土産物屋街を出て真っすぐ進めばキュチュックアヤソフィア通りになる。

 

キュチュックアヤソフィア通りの入り口からスルタンアフメットを振り返る

 

 通りの入り口で背後を振り返ると、右手が土産物屋街、左にスルタンアフメットが見えて、この辺り一帯にビザンツの大宮殿が建っていたはず。道は南側の海に向かって下りになる。下って行く途中、右手に高台の崖のよ うなものが見えた。近くによると、高さ十数メートルの建築構造物である。

 なんと、これは競馬場の南側の突端部で、この辺りは海に向かって下る地形の為、煉瓦を積み上げた構造物で競馬場の平面と観客席を構成させていたのである。かなり崩れているが、コンスタンティノープル草創期(紀元4世紀)の遺構で、ローマ時代の円形劇場の外壁に見られるような煉瓦組と通路跡が見える。

 

競馬場の突端部、白いのはオスマン時代の泉

崖の上に19世紀創立の学校が建っている

 

 坂を下りきったところに、キュチュックアヤソフィア。元は聖セルギオス・聖バッコス聖堂、アヤソフィアに先立ってアヤソフィア型のプランで建造され、16世紀にモスクに改装された。それまでの細長いバジリカ型の聖堂ではなく、中央に大きな円蓋を持つ正方形の平面プランを採り、内部の柱はいかにものビザンツ風。

 

キュチュックアヤソフィア

内部、ビザンツの柱

 

 きつい坂道を戻り、競馬場の構造に沿って平面に至ると切り石積みのオベリスクの前。さっそく日本語土産物屋客引きが現れる。早々に振り切って、トラムでホテルに戻る。

 

切り石積みのオベリスク

 

 夕食は初日に想定外の味だったガラタ橋のレストランにした。カラマリ(イカ揚げ)はギリシア語、トルコ語にイカはなかったと考えられる。イカのオリーヴ油揚げは地中海全域で食べられる。ここのイカは大ぶりだが身は締まっている。トマトはトマトの味。

金角湾夕暮

 

                   ガラタ橋のレストラン

 

カラマリ               トマトと胡瓜

 

 

(8)終わり