8 月 21 日

 

 今朝も朝食時に雨が降り出す。今日は小一時間で晴れる。

ホテルのレストランからの眺め(昨日の夜景と同じ方向)

 

 昨日の続きで、今日は考古学博物館を訪ねる。坂を下ってカラキョイからトラムでギュルハネへ。

 

坂を下って

 

階段の有る道

 

カラキョイのトラム停留所から見るスレイマニエ

トラム

 

 ギュルハネ門から考古学博物館へ登る道端には、ローマ時代以来の列柱や石棺が無造作に置かれている。

 

 イス タンブール考古学博物館は以前入った記憶が無い。33年前の旅で、イズミルの博物館に入った記憶があって、当時の説明ではあまり正確でないトルコ中心史観で2000年以上前の小アジアの状況を説明していて、トルコの考古学博物館は怪しいという先入観があった。それは今回、見事に覆されることになった。今回の旅の大きな収穫のひとつである。

 

 まず古代オリエントの展示棟から。古代メソポタミアの諸王朝の展開が順序だって説明されていて、展示品も重要なものが収蔵されている。トルコだけにヒッタイトも充実していて、研究のレヴェルは高い。さすがに首都の博物館であるからなのか、それともこの四半世紀に客観的でアカデミックなアプローチがされるようになったのか。これは思ったより訪れる値打ちがあると、ゆっくり見て周ったので、中庭のカフェで珈琲にする。博物館カフェもトルコ珈琲マシーンを導入していて、無造作に置かれたローマ時代の墓碑や列柱に囲まれたテーブルで休憩。トルコ珈琲は、チャイが一杯3リラ(45円ぐらい)ほどなのに対して10リラ(150円ぐらい)と高いが、一杯の水と小さなトルコ菓子(ゼリーみたいなやつ)が付いてくるのがお約束。

 

考古学博物館カフェ

 

 さて、博物館本館に入ると衝撃的な展示物に遭遇することになる。ガイドブックには、『アレキサンダーの石棺』 というものが有名で、これはアレキサンダー大王の遺骸を収めた石棺の意味ではなく、石棺のレリーフ装飾がアレキサンダー大王の故事を題材にしているからと書いてある。これは凄いものであった。

 

アレキサンダーの石棺

 

 

 ここに数個の石棺(Sarcophagus)が展示されているが、これらは1887年(明治20年)オスマン帝国領内のレバノン、シドン近郊で発見されたフェニキア王国時代の地下墳墓群から出土したもの。貴金属類は盗掘に遭ったようだが、2000年以上ほぼ手つかずに地中に眠っていた。

 博物館の英文カタログ(2012年、第7刷)に依れば、アレキサンダーの石棺は、イッソスの戦い(BC333)にアレキサンダー配下で参戦し、それによってシドンの王となったアブダロモスが自分の石棺としてBC325からBC311年の間に造ったとしている。アレキサンダーはBC323年バビロンで急逝しているが、いずれにせよ同時代のものであることは確か。

 展示室の壁面には発見当時の様子や、出土品をどうやってイスタンブールまで運んだかの記録が、細かい費用と日付まで克明に示されている。

 

 いずれも同じ墳墓群から出土した、『リュキアの石棺』(小アジアのリュキア地方の石棺に似ていることから) と呼ばれる紀元前5世紀末のもの、『悲しむ女たちの石棺』(側面に嘆き悲しむ女性がレリーフされている)と呼ばれる紀元前4世紀半ばのもの、と並んでいる。

 

悲しむ女たちの石棺

リュキアの石棺

 

 どれも良質の大理石に見事な彫刻が施され、確かに学術的価値とともに芸術的価値も高い。尚、これらは制作時には彩色されていた。

 

 石棺については、イタリア中部のエトルリア時代(紀元前7世紀頃から紀元前3世紀頃)からローマ時代(紀元前3世紀頃から紀元後3世紀頃)のものを多く見てきた。最も印象に残っているのはローマのヴィラジュリア博物館の収蔵品で、他にもフィレンツェの考古学博物館などそれなりに質、量とも在るが、このシドン出土石棺は質的に凌駕している。私的には、石棺に興味のない人でも、美術としてアルハンブラ宮殿と同じぐらいに飛行機に乗っても見に行く価値がある。

 

 その奥には、オスマン帝国領から収集された古代からビザンツ時代までの石棺・石碑類が展示されている。こちらも興味のある人にはなかなか面白いものが多い。考古学博物館本館の半分は現在改修中で、彫像類は見られないが、そう期待していなかっただけに、ここまででのオリエント部分とシドン石棺で充分値打ちがあると納得した。

 

 カフェでもう一杯トルコ珈琲を飲んでから、メフメト2世が建てた東屋という現在は装飾タイルを展示する建物をさらっと見て、トプカプの第一庭園に登り、昨日は入らなかったアヤイリニ聖堂にイスタンブール博物館カードで入場。モスクにはならなかったが、やはり内部はガランとした、想像力があれば楽しめる建物。

 

アヤイリニ

アヤイリニ内部

 

 トプカプの皇帝門を出てアヤソフィアの横をブルーモスク方向に直進する。アヤソフィアを過ぎたところにヒ ュッレムスルタン浴場。スレイマン大帝の寵姫ヒュッレムがオスマン帝国最高の建築家ミンマールシナンに造らせたとされる。今は観光客用高級スパになっている。

 

ヒュッレムスルタンハマム

 

 説明文を読んでいると、日本語土産物屋客引きが寄って来る。ヒュッレムの人間関係と時代背景はテレビドラマで知っているから、スレイマンの小姓から大宰相にまで登り詰め最後にスレイマンから死を賜ったイブラヒムパシャの屋敷は何処だったか知って居るかと尋ねると、知らない。それより友達のやってる店がすぐ近くに在って「ちょっと見るだけ」とお決まりパターンで付き纏う客引きを振り切り、スルタンアフメット(ブルーモスク)横の土産物屋街に入る。この辺りに、ビザンツ時代の大宮殿が建っていて、その床モザイクが一部出土して博物館になっている。

 

 

(7)終わり