昔の話

 

職場で食事会&飲み会があった

 

参加したのは自分を含めて5名ほどで

その中に人生の師匠と仰ぐ先輩がいた

 

自分が彼を師匠と位置付けた理由は

仕事のやり方はもとより他者との応対

同僚への気遣いなど

何をやるのもソツなくこなし

皆からも好かれていて、まさに

「イケ」を字でいくような男だったから

 

ただ彼の雰囲気はイケメンという感じより

どことなく芸人を彷彿させ、昔でいう3枚目

 

当時すでに既婚者ではあったが

女子からはかなりモテていて

先輩が休んだ日は彼女らの寂しそうな顔を

見るのが何となく嫌だった

 

もちろんその飲み会も彼の発案であり

皆が知らない小洒落た料理屋の予約から

参加者のエスコート、料理の選択、

支払いに至るまでの全てを引き受け

途中会話にも気を配って皆を飽きさせないし

酔って乱れた姿を見せることもない

「一度酔った姿を見てみたいです」などと

そばで囁く女子もいたほど

 

今の仕事を辞めて水商売でも始めたら

きっとめちゃ繁盛して確実に儲かるだろう

などとそこそこ本気で思ったし

自分もそこで雇ってもらえたら、なんて

 

今にして思えば先輩に対する憧れ

というよりも、男としてのちょっとした

嫉妬心を抱いていたのかもしれない

 

飲み会の後は2次会ということで

偶然見つけたオーセンティックバーに入り

カウンターで横並びとなった先輩にこう

問いかけてみた

 

「先輩はいつもみんなのことを気遣って

 ますが、それだと自分の好きなことや

 やりたいことなんかを犠牲にしてるん

 じゃないですか?」と

 

先輩の返事はこうだった

「そうかなぁ、そう意識したことはないけど

 それは犠牲というよりも自分に課している

 ルールを単純に守ってるってことなんだよ」

 

つまり先輩の言う自分に課したルールとは

こういうことのようだった

 

人間関係で一番大切にしていることがあって

それは『大切に思っている人が大切に思って

いるものを大切に思う』ということ

 

それってどう言うこと?とその場では理解が

できなかったが、先輩の説明はこうだった

 

自分が大切に思っている人はその人が大切に

思っているもので成り立っているのだから

その人を大切な相手と思うのであれば

その人の大切にしているものや思いを尊重し

なくてはならない、と言うことらしい

 

例えば、自分が大切に思う同僚がもしテレビ

ゲームを好きだと思っているのなら、それを

幼いなどと頭ごなしに否定するのではなく

その気持ちや思いを受け入れて尊重する

と言うこと

 

それは対象が酒やタバコ、ギャンブルなどの

よくないとされるものに対してもだとか

 

一般に物事の価値には

「好き」vs.「 嫌い」と「良い」vs.「悪い」

と言った2つの異なる評価軸があり

後者の「悪い」場合には後々本人に不利益

や傷害をもたらす危険性があるので

将来に向かって最小化していく必要がある

 

一方、人が幸せになるには「好き」でかつ

「良い」ものを最大化していくことが理想

 

いくらその人のことを大切に思っていても

悪いものを否定して取り上げてしまえば

それはただの支配でしかなくなる

 

例えば、相手から自分が嫌われていると

しても、それはそれで大切な気持ちの一つ

なのだから、それを誤った気持ちや思いだ

と否定するのではなく、まずは受け入れて

みる

 

もし自分に非がないならばいずれ誤解は解

けるだろうし、仕事の面で支障なければ別

にそれでも構わないだろう?だとか

 

そう説明されるとなるほどと納得はしたが

「他者を大切にすること」=「自己犠牲」

と言う図式の解消には至らなかったと思う

 

その後先輩はまもなく異動となってしまい

以後会うことはなかったが、相手の大切に

思うものや気持ちを大切にすると言う態度

は見習うべきルールとして意識したことを

今も覚えている