(ある看護師さんの日記、一部改変)

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今日、ALSという難病をかかえる患者様の訪問看護にいきました。

ALSは、体を動かすのに必要な筋肉が徐々にやせていき、力が入らなくなる病気です。

人工呼吸器をつけなければ発症から5年程度で亡くなってしまう方が多い原因不明かつ治療法の確立されていない病です。

人工呼吸器をつけたとしても、最後は寝たきりの生活をよぎなくされ、顔を動かす筋肉すらも失ってしまい、周りの人との意思の疎通も難しくなるという病気です。

私が訪問した方は、まだ手足も動かせるし、お仕事もされています。

ですが、毎日少しずつ体が動かなくなる恐怖は一体どんなものでしょうか。
昨日まで出来ていたことが今日できないことへの絶望感はどんなに深いでしょうか。
確実に迫りくる死について考える孤独感とはどんなに果てしないものでしょうか。
 

「どうして私なんでしょうか?
どうして他の人じゃないんでしょうか?
そんなことを考えてしまう私は酷い人間ですね。」

と、泣きながら言われました。

私が言えたことは…
「そんなことないです。」だけでした。

涙をこらえるのに必死で、それ以上の言葉が出なくて...

 

死んだら幸福感しかないんだとか、
辛い難病を生きる人生を選んで生まれてきたあなたは、

すごく強くて美しい魂の人なんだとか、
いくら真理や真実を知っていても、

それを言葉で伝える勇気が私にはありませんでした。


私は少しばかり人と違う珍しい体験をして、

真理を一部知ったからと慢心していたような気がします。

宇宙の美しい真理を確信しているのに、

私は目の前で泣いている人の心を救うことはおろか、

少しも軽くすることすらできませんでした。

 

それでも、今日、彼女の流していた涙を一生忘れないでおこうと思います。

そして、彼女のことを可愛そうだと思った自分を無視することなく認めようと思います。

誰かを可愛そうだと思う時、それはきっと自分自身が可哀想な時です。
誰かを助けたいと思った時、それは自分自身が救われたい時です。

 

この世界は私の心でできている。
だから、どんなに悲しくても辛くても怖くても自分と向き合うことが、

どこかで彼女を助けることにも必ず繋がっているはず。

そう信じて私は内観を続けます。
勿論看護師として現実的にできる事も頑張ります!!

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何もできないけれど

祈ること、そして患者の存在を記憶に留めることはできる

自分の慢心を諌め

苦難を背負っている患者を尊敬する

患者と接し看護することで、この世での経験値を増すことができる

現在の自身の健康・幸福を感謝する