歸空庵という号は、中国の詩人・陶淵明による「歸園田居」から

採られています。歸空庵主は、彼の詩の一節である「人生は幻化に似たり

終に当に空無に帰すべし」の中の「人生」を、自らの美術作品の蒐集になぞ

らえました。つまり「美術品は蒐集しても、終には私するものではない」

と解釈し、名付けられました。

 

 

 

梅湾竹 直公 「西洋婦人図」 紙本着色 文化13年(1816)

 

大きさだけでも圧巻だが、鑑賞者が異国を覗き見る気分になるような仕掛けを

備えた洋風画。カーテンや手すり、珍しい16角形の額縁を効果的に配し、それ

らを囲む四角い額内にも青空を連想させる色を塗りこめ、絵を窓のように楽しむ

工夫を凝らしている。

男女は一緒に花を愛で親密そうだが、女性と視線が絡むのは花籠を運ぶ従者だと

いうことをお気づきだろうか。

作者不詳 「ブロンホフ家族図」 紙本着色 文政元年(1818)

 

文化14年、ヤン・コック・ブロンホフが出島のオランダ商館長として

着任した際、同伴した家族の姿である。鎖国下の日本では外国人女性の

来日は禁じられており、大きな衝撃を与えた。

 

石川 大浪 原図 「浜田弥兵衛台湾討入図」 紙本着色 江戸時代

 

台湾での生糸取引や関税を巡り、朱印船長浜田弥兵衛らが同地でオランダ

東インド会社のオランダ人らと争った寛永5年の事件を描いたもの。

 

川原 慶賀 「シーボルト像」 紙本着色 江戸時代

 

出島のオランダ商館医だったシーボルトの肖像画で、彼のために

多くの記録画をしたためた川原慶賀が描いた。医者で博物学者でもある

シーボルトだが、肖像画では常に軍服姿である。

 

私が最初に見た川原慶賀の絵は、2018年5月に読んだ広瀬隆著「文明開化は

長崎から」上・下で、表紙に人物画が使われていた。(ブログに上梓している)

 

 

渡辺 崋山 「ナポレオン図」 紙本墨画 江戸時代

 

画面左側に「西洋払郎国漠奈波爾像」とあることから、ナポレオンを

描いたことがわかる。崋山はナポレオンの戦没や西洋各地の事情について

関心を寄せており、自身とは幽閉という共通項もあるためこのような作品

を手掛けたのだろうか。

 

73点の展示で、濃厚な時代の雰囲気を味わわせて頂きました。

これで入場料が無料というのは、偉いぞ板橋区。