『知ろう!小児医療 守ろう!子どもたち』の会の講座に参加したり、
うり子の保育園の面接に行ったりして、
それらのことも書きたいのだけど、
児童虐待のニュースが相継いでいて、
ちょっとふれずにいられません。

命を落としてしまった子どもたち、ごめんね……。
だれも、キミたちを守ってあげられなくて、
この世の優しさや、愛情にふれることなく、
天国へ行くことになってしまって、ごめんね……。

うちで購読している新聞のコラムには、
虐待した両親を責めるような言葉がならんでいますが、
これにすごく違和感を感じています。

自分で自分を守ることのできない子ども達。
その子ども達を守るのは、大人の役目。
社会の役割。

ある家庭で子どもが虐待を受けて命を落としてしまったとしたら、
死なせてしまったのは、私たち大人。
見捨ててしまったのは、私たちの社会。

虐待の増加は、子育てを各家庭の親だけに押しつけてきたツケだと思う。

親の愛情は絶対じゃない。
育児は親がして当然じゃない。

子どもを育てるには、育ててみなければわからないような、
困難や不安や葛藤や我慢や辛抱が、ものすごく必要で、
それらを乗り越えて、必死で努力して、
親は子どもを育てている。

私は昨日、赤ん坊をおんぶして、片手で2歳を抱っこして、
5歳の手をひいて、予防接種を受けさせるためにバスで駅前まで出たけれど、
これも、親なら当たり前と言われるんだろうか。

夜は、お腹をすかせた赤ん坊に授乳しているのに、
足にまとわりついて泣く娘を、
だまらせたくて蹴飛ばしたくなるのを、必死で我慢した。

日中は子どものお世話に追われるから、
毎朝4時半に起きて自分の時間を確保しているけれど、
子どもたちが泣き出せば、それさえ中断される。
そんなときに感じる葛藤。

ぜんぶぜんぶぜんぶ、
親なんだから当然、
親は子どもに無償の愛を注ぐもの、
なんだろうか。

親の愛情は絶対じゃない、と思う。
親なんだから育児放棄なんてありえない、
んじゃなくて、
あらゆる困難を乗り越えて、放棄せず育て上げたからこそ、
親の愛は絶対、になるんだと思う。

困難があっても、親がその役割を放棄しないように、
社会がサポートしていかなければ、
子育ては、無理だ。
子育てを、親だけに背負わせるのは、
もうやめてほしい。
「世の中の歯車が狂っている」とか、
「獣禽にも劣る親」とか、
ひとごとのように言うのは、
もうやめてほしい。