エッセイカガサワのドンと来い経営術 | ジェイカス株式会社代表取締役のブログ

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皆さん今日は約1ヶ月のご無沙汰でございます、エッセイカガサワのドンと来い経営術の時間がやって来まし。「えぇ、だんだんと次の番組期間が長くなってきた~」申し訳ございませんジェイカス総務部検閲課で時間を要したみたいです。さて本日の提供は「1錠100円インド製レピトラでお馴染」のジェイカス薬局でお送り致します!                 「目標1327点」 ♪ジェイカス薬局良く効くね♪


第7話 「バブル崩壊Ⅰ」


 第5~6話「番外編」でもお解りと思いましすが、この昭和63年~平成2年初旬まで私の人生にとって一番お金の価値が狂っていた時代かもしれません。今現在アベノミックスで株価15千円突破と言っておりますが、この年の大納会で株価は38千円を突破していまして、まさしく凄まじいバブルで1年ちょとで土地や株は10倍もザラにありました。


 1・2年前までパンばかりかじって親からの借金で生活していた私が、S63年大晦日には第4話登場の証券会社や不動産屋の先輩達とお決まりの北新地の高級クラブで1本何十万もするシャンパンを開け(私は下戸の為、横で何万もするコーヒー)、「来年は日経平均も5万円いくやろなぁー」とか「米連銀FRBグリーンスパーンがどうとか」、「加賀澤おまえも俺らと付合って人生かわったやろー、未来はバラ色や!感謝しろよー」、今思えば凄くこっけいで世の中の仕組みが全く理解できていませんでした。


 年が開け昭和天皇崩御と共に平成の世の中になりました。私以外の3名は朝早くから軽四での配達(日通の孫受けでゼ〇ックス事務機器消耗品配送)の売上も順調に伸び、当時私の帳面を見て頂いていた方に「そろそろ会社組織でちゃんと将来設計をしてはどう?社会保険にも加入しどの様な将来像にするか以前の軽〇急配に騙された人を救う事業はどうなったのか?事業主としてキチンと考えて下さい」、今から思うとよく当り前の事を言って下さってましたが、当時今さえ良ければいい私は「この先生、説教じみてうっとしいなー、何を訳の分からん事ばっかり言うとんねん」と顔を合わすのが凄くいやでした。


 「軽〇急配に騙された人達と理想の会社を立上か~、そんな事より金儲けやで、竹村健一もテレビで財テクのほうが手っ取り早い言うてるし、とりあえずは株で勝負しとこかー」。


 そんな平成元年夏の熱い昼、宮原(大阪市淀川区新大阪付近)の事務所兼自宅マンション近くの喫茶店でバッタリと福〇相互銀行新大阪支店のんN氏(第5話韓国バブル旅行登場)と出会いました。

 「加賀澤さん、最近どうでっか~?」、「あぁ~まあまあや、そうそうチョット思ってんねんけど法人にしたらええ事あるン」、「加賀澤さん、そら~丁度ええがな!その会社設立事業拡大話で5千万ほど使こてーな、今月ノルマきついねん」、「なにが使こてーなや、ちょと待ちいな~人をペテン師みたいにィ言いな~、それにその5000万返さなあかんねやろー高い金利つけて」、「たった9%の金利ですがな、加賀澤さん頭脳やったら得意な仕手株で直ぐ2倍になりますやろー、マンションの値上がりも凄まじいでっさかい枠ぎょーさん余ってますねん、昼から振込みしときますからまた契約書に判ちょうだい、ほなーぁよろしゅー」。


 今から思えば当時の私の様な月商270万程軽4台の個人商店にノー審査と契約書なしで先にお金をばら撒き、株や不動産の投機を金融機関、いやユダヤの罠で国家ぐるみでバブルに誘導し大なり小なり皆が踊り狂った時代でした。


 「そやなーそしたら人の金で金儲けして資本金1000万労せず捻出しよか~、24歳で世間から社長て言われるのも悪るないし、5000万あったら株式市場で1ヶ月ほどの勝負で1000万位稼げるやろ」。軽〇急配に騙された時に強く決意した理想とは違い、バブルに侵された私は会社設立をこんな軽い気持で考えていました。


 何時もの様に北浜の広〇証券に「課長おる、毎度加賀澤です!この間から海運株動いてるんやけど何かええのある?」、「さすが加賀澤さん若いのによう勉強してはりまんなー、3日前からジャパンライン出来高えらい動いてますでー、ここだけの話やけど、この会社近々えらいええ発表があるそうでっせぇー、必ず大化しまっせー」、

「やっぱりそうかぁー、ボロ株やけど最近上がってるしおかしいなーと思っとてん」、「いあーさすが御目が高いわ! ほなぁー今持ってはる鉄板と鎖(日新製鋼と大阪製鎖)、売って乗換えまっかー絶対に儲かりますわ!」、「いやあの株はまだ上がるから置いとく、また銀行から高い金利で貸付てきよって今回は3000万で勝負して4000万になったら売りや、後場の寄付きで8万株買うといてぇー」、「いゃーさすが若いのに甲斐性おまんなー」。


 この様に福〇相互銀行と広〇証券に踊らされ(自分から踊り)、本業で配送をして汗水かいている仲間の気持ちと未来は全く無視、自分だけ株で儲ける事に専念していました。


 翌朝配達の為、日〇通運淀川倉庫でゼ〇ックスのトナーとコピー用紙を積み出発後、巨大トランシーバーの様な移動電話で「広〇証券さん、今ジャパンラインなんぼになってんね!、えぇ買値より40円上がってる、ヨッシャ・ヨッシャー」、「さすが加賀澤さん、バッチリのタイミングですなー、こらーまだまだいきマッセー!」、「ヨッシャーまた昼から電話するわ!」。げんきんなもので「今日はお世話になりますゼ〇ックスで御座います、ご注文のトナーお届けに参りました」とルンルン気分で配達をし、結局この2日で50円値上り(売れば400万円儲け)になっていました。


 結局計ったように1ヶ月半で200円(1600万儲け)値上りし資本金1000万どころかだいぶん利益がありました、「俺はラッキーや今回の株もそやけど、あの時無理やり売りつけられた新大阪のマンション今は1億以上やし、無理やり売りつけられたゴルフ会員権も4千万以上や、今の世の中金が金を呼ぶんやなー、矛盾してるけどなんぼ汗水かいて一生かけてもマンションの1件も買われへんがなぁー、こんなんでええんやろか?」、と浮かれながらも疑問を抱いていたのも事実でした。


 この日も広〇証券に電話して、「課長さんジャパンライン今何ぼ?えぇー変わらずかー、そろそろ利益確定売りやなー全株売っていなぁー、チョット会社設立で金いるしー」。「加賀澤さんそらー宜しいけどもったいないなー、ここが我慢のしどころでっせ!700円のせの大相場は今からでっせぇーほんま間違いおません!」、「ンー700円かー、と言う事は8万株で5600万か、ワルないなー投資金額の約倍か、それに別で2000万まだあるし会社設立なんか何時でもええしなぁー、金増やすほうが大事やし、分かったー売るん止めとこかー」。

 

 そんな有頂天の時でした、朝株式市場が開くと何時もの様に直ぐ電話で「広〇証券さん、ジャパンライン本日寄り付きで何ぼ?えぇーまじでぇ!下げに転じてストップ安、何でやねーぇ、課長言うてる事とちゃうかんけー、このアホがー」。大阪市内中心部を配達していた私は「そや!何千万の勝負してるのにこんな1件500円の配達なんかアホラシイてしてやってる場合ちゃうわ、証券会社に詰めんと判断ミスする、後で軽四の故障や言うてゼ〇ックスに電話したらええわ」、このころは牛のよだれのような本業の儲け(それでも現在の何倍も良かった)より、麻薬の様な株式市場を全てに優先していました。結局この日はストップ安で市場が引け不安な気持ちのまま、「明日はどうなるんやろー」と奈落の底に落ちていく気分でした。


 神様の罰なのか、翌朝日経朝刊にジャパンライン大幅赤字だの債務超過だの見出しが躍っています。「そんなアホなぁー、この値上がりはなんやってん」、そして翌日もその翌日もストップ安、結局5日間連続ストップ安で6日目に値が付くと「くそぉー、この間まで1600万円儲けていたのに逆に800万ほど損したかー、あの時売っとたら!」北浜の広〇証券に怒鳴り込みにいきました。


 「課長おるかー、どないしてくれるねん課長、元々ボロ会社やのに新聞にこんなん出たらもう無理やでぇー、あんた言う凄い発表とはこの事か?ドあほ!」、「加賀澤さん落着いて、あなたの好きなうさん臭い仕手株とはこう言うもんです、怒りはってもしゃないですわ!ここは我慢ですこの相場必ずや化けます、何やったら信用でもう2万追加しはったら」、「うさん臭い仕手株が好きとはえらい言われ方やなー(それは事実でした)信用で2万追加なんか出来るか」、と応接室でもめていると。


 23歳の綺麗な女性営業、私が好きな有〇ちゃんがお茶を持って入ってきて、「加賀澤社長今晩ご飯連れて行ってぇー、六甲山からの夜景も見たいわぁ~」、と結局色仕掛けでごまかされました(今思えば当時は何でも有り)。 翌日損を取戻す為残っていた2000万全額で底値を買支え(ナンピン買い)、それからは祈るような思いで配達をさぼり淀川の堤防で短波ラジオを必死で聞きながら、「上がれ~、上がれ~、」と毎日祈っていました、しかし祈りは通じずジリジリとまだ株価は下がり続け、損失はすでに倍の1600万ほどになっていました。


  一喜一憂で精神状態はフラフラになり、「あかんこのままやったら体潰れる毎晩寝られへん、あと一週間値下がりしたら借りた金の5000万の半分パーや、長期返済に切り替えてもらわな返されへんがな」と毎日まともに配達が出来ない状態(遅配・誤配・クレーム)になっていました。


 そんな時日〇通運大阪支店の一番大きい下請けのでグリー〇物流の社長(65歳位)さんが、私の顔を見るなり「君最近元気ないなーどないしたんやー、君の仲間みな心配しとるでぇ~博打でもしてんのか?話てみ~」、と言われ私はこの1・2ヶ月株の仕手戦をすべて話しました。


 「そおかー大金株でしこってんのかー(損失で売れない事)、そやなー、大きかろうが小さかろうが我々事業主は運(徳)をもってる、もし君が株で大儲けしてもそこで運(徳)をつこたら事業はうまく行くはずが無い、」。  私は「社長しかし今や1億総投資家でJAPAN IS NO1の時代で世界の金が日本にきていますよ、それに株や不動産で儲けてやつらに少し還元したら喜ぶでしょう」。

 

 「君はまだ若い世の中の仕組みが分かれへん、所詮株で儲けたあぶく銭は消えてなくなるし人の心も離れる君からは離れる、ついてくるのは金目当ての人間だけや、そんな事より仕事で皆に信用してもらうほうが将来のためや、まぁー仲間の事をやつら言うてるようでは無理やけどな!」。


  この様なありがたいお話を聞いても当時は何を言っているのか全く理解できませんでしたが、「そやなー

あいつらも俺が株に気を取られ誤配ばかりで肩身の狭い思いしてるやろなー、ちょとそこは考えるかー」、

少し反省はしました。 

 そんな平成元年秋、日経朝刊1面にを政府主導でジャパンライン・山下新日本汽船合併と1面の大きな見出しです。すぐ広〇証券に電話し「課長!これかー凄い発表ってー」、「加賀澤さん朝からストップ高ですわ!これから大相場が始まりまっせー800万の損処か2000万位すぐ儲かりますわー」。

   思わず私も「そうかーぁ やっぱり株は儲かるわ最高 アッハハハハ!! 」。

  

   2~3週間後の月曜日世界同時株価大暴落 「ブラックマンデー」が起こる事も全く知らずに!


                        

                                  つづく