断捨離を決行した。


小学校のころの年賀状やら、友達と授業中回した手紙や、、思いだしたくない思い出含めて。



辛いことがあるたび、新しい自分に生まれ変わりたいと、過去を切り捨ててきた。




そうすれば、これ以上痛みを感じることはないから。



私は、現実感が希薄で根なし草だった。



そうしないと自分を保っていられなかった。



ところが、今回はどうだろう。



私の人生から消えたはずの


切り捨ててきたはずの気持ちや、嫌で粉々にした思い出たちが


さびしいからもうこれ以上切り刻まないでほしいと叫んでいるのだ。



それは、破片となって私の身体に存在していた。



こんな実感ははじめてだ。



さびしさの正体はこれだった。



誰かに常々さびしい、愛してほしいと願いかなわないのは私自身を許していないから。



嫌な記憶は、大切な大切な私の一部、だった。



そうしたら



父がうまいぞ!と作ってくれたチャーハンの思い出やら


祖母がフレンチトーストを作って学校の帰りを待っていてくれたこと


母のハンバーグが美味しかった記憶が次々と、、



出てくるのである。



あたたかい記憶となって。



私(破片)は存在して良かった。



愛せるかどうか自信はないけれど…


一つ一つもう一度


心から歓迎しようと思うのです。



大切な宝物として。