どうも頭が回らない私。
【フラッシュバックする方は要注意です。】



水曜日、衝撃のことばを主治医から言われました。


「入院してもいいくらい(病んでる)だね。」



うっ!ときました。
一番直視したくない言葉でした。











ここ2、3日心に思うことがありました。




私が絶対に受け入れたくなかったものの正体です。



それは「汚れた父親の血」。






直視したくない心^^






世の中が本当に大嫌いだったのでしょう。


世間はろくでもないから信じるなと小学生の頃に吐き捨てていました。。ああ、あれは父の大きな悲しみだったのだろうかと、、













父が祖父をそうしたように、けがらわしい父を汚ないと思うようになり、、


この土地の湧き水が飲めなくなりました。


汚れた実家の床の上を裸足で歩けませんでした。 





しかし40年経っても父と私はたいして変わらないのです。
40年間頑張りましたが、どう頑張っても親子なのです。。当たり前ですね




「汚れた血」は事実であり
悲しみの血でもありました。。










主治医の言葉をきっかけに
それを受け入れようと思いました。




もういいや、って^^













いいじゃないか^^



病気でも^^と、、




お金もなくて
希望なんかない
体も動かない
社会に閉そく感あって
がけっぷち、、




病んでも、生きる。
生命力を信じる。



生きていればなんとかなる。




やっぱり、私たちは生きることから逃れようのない一生命^^








太宰治の記事を書いておられる方が数名いらして、心にひびくものがありました。

「病む」という表現をしていいか悩みました。誰もが明るく健康でいたいものです。社会も個人も閉そく感漂う中、誰もが何がしか抱える「病む」を受け入れてみること、、人によっては「老い」であったり、「貧困」かもしれません。

「病む」ことを社会から排除することは解決になりません。受け入れることによって、再びつながる事がらがあるのではないか。。私なりの(究極のマイナス思考の)希望論を書かせていただきました。