世界第2位のチューリップの産地マウントバーノン
こんにちは。 H-fitパーソナルトレーナーの川西です。
潜在能力開花の瞬間を実感したあの日のこは、今でも忘れません。
川西物語#4
テニスを引退した高3の3学期のこと、特にテニス関係で進路を決めるという訳ではなかったのですが、悩んでいた私に父が語学留学を進めてきました。
なんとなくその気になった私は、アメリカ留学を決意し大学卒業を目標に渡米することになりました。
趣味のテニスをしながら英語学校に通い、1年後にはワシントン州北部マウントバーノンにあるSkagit Valley Collage スカジットバレー短期大学に入学できました。
ある日、いつもテニスをしていた日本人の友人がテニスジャーナルを持ってきたので目を通しいると、あるページに目が止まりました。
“コレは?!”と驚きました。
高校時代テニスでお世話になった長谷川コーチがメンタルトレーニングの連載物に著者として登場していたのです。
読んでいるうちに、高校時代に指導していただいたことは、“集中力を高めると言う意味があったのか“ と始めて長谷川コーチがテニスを通じてメンタルトレーニングを指導していたことに気づきました。
その後、しばらく経ったある日のこと、短大テニス部らしいグループがテニスコートで練習をしていました。
私は、燃えるような熱いものがこみ上げてきたのを今でも覚えています。
“もう一度、選手としてテニスがしたい”
気がついたらチームの監督と話をしている自分がいました。
話がまとまり、早速用意をしてテニスコートに到着するやいなや監督が...
“彼とラリーをしてくれ”といきなりエース格っぽい選手を連れてきました。
ラリーの中でテニスジャーナルのメンタルトレーニングのポイントをしっかり抑えて打ち続けていると、過去の記憶が戻ってきたのか結構打ち合えました。
しかも、 ショットの精度がいい!!
“なんか、以前よりもしっかり狙って打てる感覚”
互いにむきになり始めた頃、監督が...
“試合をしたらどうだ”
と提案されたので、“OK”と軽く返事をしてしまいました。
この時、長谷川コーチのメンタルトレーニングを基に再び試す絶好のチャンスだと思ったのです。
試合が始まり、とにかく無心でボールに食らいついて拾って拾って続けた結果、激闘の末なんと勝ってしまった!
自分でも信じられないぐらい驚きました。
集中の意味を理解したのか、確実に高校時代と比べるとショットの精度や集中状態、落ち着き度まで良くなっているように感じました。
振り返ってみると高校時代は身体でテニスをしていたように思います。
しかし、このときからは明らかに頭でテニスができるようになったのかも知れません。
それは考えながらではなく、感じながら、勝手に身体が動く感じを始めて体験しました。
それから短大テニス部ではエースの座を獲得しチームを引っ張る役割を果たすことになりました。
つづく
カージナルスに侍きたる! 地域新聞 当時21歳