ごきげんよう。
個と場(COtoBA)のデザイナー 田口慶子です。
テーマは「やりたいこと!」なのだけれど
中身は友人の死をとおして考えること。
何気なく開いたTwitterのウォールで
友人のtweetが目に留まった。
今日が、3年前に突然私たちの前から居なくなってしまった
彼の誕生日だと知ったのは、
この共通の友人のtweetを見てのこと。
彼は「また一緒にラーメンくいてぇ」と呟き
私は「あの笑顔にまた会いたい」と返信した。
亡くなったことを知った数か月前には
同じライブで顔を合わせ、一緒に盛り上がったのに。
「また何度かご一緒しましょうねー」と言ったのに。
Facebook のアイコンや写真を見ると
40代になったばかりの早すぎる死を心底悼む。
今でも毎日流れている“まとめtweet”を目にすると
鼻の奥が少しツーンとする。
3年前に彼の死をSNS(Twitter)で知り
2年前には、知人繋がりで知り合った、
地元名古屋が一緒というだけでなく、
なんと中学校が一緒(つまり同学区で実家が近所)という
同郷の彼の死をもSNS(Facebook)で知った。
そして今年の年初。
昨秋にFbでやり取りしていた彼の死を
SNS(Facebook)で知った。
従来と違って、
SNSによって身近に感じる友だちや知人が増えた。
だからこそ、その人が亡くなった時の衝撃は、
かつてとは比べものにならないほどの差がある。
それが突然の死であればなおさら。
もう投稿されることのないSNSのアカウントが
残っているのは侘しい。
だからと言って、
これまで日常を共有していたアカウントが消えてしまうのは、
残されたこちらの日常から
その人の存在自体が消えてしまうことを意味して、
さらに寂しい。
数年前からFacebookで
「追悼アカウント」というのがあることを知ったけど、
私が求めるのはこういう個人の親族によるアカウントの管理ではなく、敢えて言うなら「social pray」とでもいうか。
「今日は〇〇さんの誕生日です」があるのと同様に、
「今日は〇〇さんの命日(3周忌)です」って案内があってもいい。
いや、欲しい。
そして少しの時間、〇〇さんとの思い出を想いたい。
もちろん、なんか朝からちょっとなぁ~って
思う人がいるだろうことは理解するから、
選択通知でいいんだけど。
その他付随するサービスもいろいろ考えている
これはいつかやりたいこと!なのだ。



