なかなか寒暖差が大きくて調整が難しいけれど、動きが活発な日中に合わせる。
ということで、継続して拝見している布施さんの企画に。何か自分の中では、最近の作品は幾分しっくりこなくなってきているけれど、それでもまずは拝見する。このタイプの公演は苦手だなぁと、先ず会場に入って感じる。でも、この場所だから仕方ないのか。座る場所によって見え方が違うのは、舞台が固定されているものでも同じだし、同じモノを見ているつもりでも、着眼点は違う。そのことがとても大事なことのようになってしまうのは、少々居心地が悪い。そして、異様に寒い。身体が冷え切って、途中でどうにもならなくなった。とにかく、何かを聴く何かを観る環境としては劣悪。そんな中、ずっと考えていたのはノイズについて。色んな考え方があるだろうけれど、再現可能性や偶発性、即興性、切口は沢山あるような。どこまでも仕組まれた、仕込まれたノイズに抗ってしまう。それはノイズが必要ないということではない。自分の中でこの公演で、感じたノイズは少々過剰だった、ということ。まぁ、そこには「ゴルトベルク変奏曲」については、グレン・グールドの演奏が自分にとっては、思い入れがあるものだということも大きいのかも。それが正統派であるとかそういう意味ではなく、個人的な思いが強く強くある。それ故に、ノイズがくどく感じたのは否めない。もしかしたら、こういう演出でなくても、同じように感じたかもしれない。それくらいにこの曲には好き嫌いとは関係ない思い入れがある。そのことに気づけたのは大きい。そして、ダンスのノイズもまた考えさせられた。ただでさえ見えにくい状況にある中、演奏者を見ているところに被ってくるダンサー。ダンスシューズが床を擦る音。なかなかの曲者。シューズなしだったら、あの音は出ないし、あの音がでることも想定内だとは思うけれど、何か少し自分の中ではしっくりこなかった。それと、花束をもってスーツ、これはもう平井堅の「ノンフィクション」しか思い浮かばなかった。申し訳ない。唯一というか寒さの中で、いいなぁと思ったのは管楽器。弦楽器は結構お目にかかる機会があるけれど、管楽器はあまりないし、あんなに沢山の種類をいっぺんに拝見できるのはとてもワクワクした(それ故にダンサーが被ると眉間に皺が…)。大きさや形状、それを見ているだけでも、楽しかった。繰り返しにはなるけれど、やっぱり自分の思い入れが強すぎると、意図しないところでひっかかる。良くも悪くも。
冷えたので温かいお茶を飲んで寝る(ノンカフェインで)。