まだまだ暑い。そして、突然の雨。熱帯気分が味わいたくないのに味わえる。

最近は時間に関心があるのだろうか。先日の個展では老いることに向き合い、今回のタイトルにも時間が。そういう事を考えたくなる頃合いなんだろうか。満田さんが今までやってこなかった想像上の生き物、ギャラドスをつくるという取り組みをしたように、瀬戸さんも今回は自分が創作していく上で持っているルールを一旦脇に置いて取り組まれたものということで期待。幾つかのパートに分かれているけれど、先ずはとても気になった十二支から。これを実物大で作るっていうのは確かに無理だし、龍は(多分)実在するものではなく、実物大ってイメージだけど難しそう。そういう意味で、全ての頭の大きさを揃えたのはとても面白かった。自分の干支がとても気になったけれど、それは横に置いておく。猪が、ん?と思ったけれど、蛇は見事だった。変な話、素材や瀬戸さんの手わざ等を考えると、獣毛があったほうが、しっくりくるんだろうと思っていた。だけど、つるんとした感じ、鱗の細部というより鱗に覆われた全体の表現として、とてもしっくりきた。抱きしめたら冷たいんだろうなぁと。それから窓際に飾ってあったくっついたライオンもなかなか不思議。意外と野生では固まって過ごすこともあるとは思うし、違っているのかもしれないけれど、慈しみあふれる状態に感じた(暑くて人込みを抜けてきたこともあって相当へこたれていたのもあって、そうあって欲しい!みたいな願望が投影されたのかも)。内臓をおさめる壺については、以前アトリエにお邪魔した時にいたわんこがモチーフになっていて、勝手に嬉しくなる。耳が欠けたライオンの耳部分は金継のような状態に留められているのも、欠損をうかがわせるメッセージだなぁと感じる。勿論、観た段階で欠けているのはわかるけれど、それがくっきりと浮かぶ効果が。だから、頭の中で耳がすっと存在しているようにこの彫像と向き合える。今回、それぞれの作品の多くが既に存在している彫刻からイメージを得て創られているけれど、その元ネタを踏まえながらも、少し今に生きる瀬戸さんの作風により、温かみをもって、産み出されたように思う。そこには、違う文化や思考がありながらも、それを意図的にミスリードするのではなく、尊重しつつ憧憬のようなものを感じた。今回の眼は、特に黒っぽいものが良かった。自分は自分が生み出したものや関わったものが残り続けるのは勘弁してほしいと思うので、時を超えられない自分を受け止めたい。

本をがつがつ読んでいるけれど、結構進みが遅く、積読が減らない。