あまりに暑くてぐったりしていたけど、まだまだこれからだと思うと気が遠くなる。

WAKO WORKS OF ARTにお邪魔しました。ガザでの虐殺を思うに、色んなところで声を上げること、実情をしっかり知ること、関心をもって追い続けること、大変だけれどどれも重要だと思う。今回、展示のタイトルに頭をぶん殴られたような感覚になって、暫くうかがうのは難しいなぁと思っていた。それが切実であればあるほど、自分にとっては覚悟が必要。そんなもんちっぽけだと思うかもしれないけれど、結構大切。会期もそろそろ終わってしまうので、やっと重い腰をあげた。やっぱり絵画作品などは抽象度も高いし、そこに書かれている文字も意味が分からないので、しっくりこないものもある。奈良さんの作品はそれ故に主張が明確。その中にあって、タイトルも詩からとられているけれど、言葉、文字の持つ訴求性は凄かった。勿論、翻訳されていることが要件ではあるけれど、そのことで、イメージがくっきりと浮かんでくる。そのくっきりしたものが、あまりに今の自分の現実から遠いので、一瞬バグるけれど、徐々に頭の中でそれらの言葉の解像度があがってくると不安になる。それくらい言葉が重たく鋭い。攻撃的ではないのに、それを読むことで知らず知らずに傷ついている。一緒に攻撃をうけている心持になる。あまりにドキドキしてしまって、本当にしんどくなる。なんにもできないって、かなりしんどい。「私は何を知っているのか?」というカバーになっているブロンズの作品。掌を空に向けているのかと思ったけれど、どうも親指が前面に向いているような…。ということは、俯き加減の頭なんかも考えると磔刑の状態なのかと思ったり…。いろいろと考えなければいけないことばかりの空間だった。そして、それをこの空間を出た後も関心を持ち続けること、その大切さを改めて考える。

ぼんやりして過ごしてしまうのは暑さのせいだと思ってしまうけれど、いやいや怠惰なだけかと思い直す。