暑くなったけれど、これくらいで暑いと言っていては本当の夏に立ち向かえない。

あれこれ物議を呼び、それに対する適切な応答もないまま、会期末を迎えようとしているこの展示、入場料が高い気がするけれど、とにかくまず観ないことには始まらないので、滑り込む。地下から3階まで足早に拝見した感じでは、なぜ今この展示なのか、ということがわからなかった。企画者としてのステイトメントを読んでも、今一つピンとこなかった。どこに焦点が当てられていたのだろうか。美術館が扱うテーマとして難しいという側面はある。それでも、扱うからには、今、敢えてこれに取り組む狙いが明確であって欲しい。美化したり称揚するつもりはないということは語られても、それだけじゃなぁと思わざるを得ない。半纏を着せられたスタッフの皆さんはどう思っているのだろうか。どんなにそこで新しい文化が生み出されたとしても、搾取された者がいて、それを土台にして培われた文化は、いいものですね、と受け入れがたい(もちろん、どんなものでも、負の側面は必ずあるので、この展示だけに限った事ではない)。現状、吉原から続く搾取の構造は、形を変え続け今も残っているし、吉原には今もそうしたものが残されているわけだから。一日の暮らしを解説したところも、大変だなぁでは終われない、とんでもない過酷なものでぶっ倒れそうになった。読み書きなどについても、自分が興味をもってやっているというよりも、そういう嗜みがあると、よいお客がつく、身を売るものの中で序列をつけ、高いものを買っているほうが高いポジションに居られるというアクセサリー的な意味合いがあることを無視できない。そうでない遊女の過酷な状況を知れば知るほど、その思いは強くなる。あまりに不勉強で知らなかったけれど、火付けなども行われていたこととか、必ずしも「抵抗」がなかったわけじゃないという事実は、覚えておきたい。とはいえ、ごった返している会場の中に居て思うのは、そういういろいろとは別に収益的には成功したといえるということ。3階の動線は非常に悪く、ただぼんやり順路に従っても滞留してしまうし、足が不自由な方などは無駄に移動させられ、難儀しそう。展示されていたものの中では、髷が当たり前だけれど思ったより小さく感じたことと煙草盆(月と蝙蝠という組み合わせ)、三味線等、絵よりも実際に使われていたものの方が興味深かった。

今週はなぜか眠い日々。