本気で不安定な天気だし、黄砂も飛んでいるので、息苦しい。

意外と知っているようで知らないのです。没後50年だということもこの展示を知って初めて理解したくらいですから。正直、その作品の良し悪しのことよりも、自分の中では、木村伊兵衛写真賞の人というところから始まっている。そこから逆行して作品を拝見することになったという感じ。それだからあの板塀とか秋田の写真がどうしても頭の中に強く残っている。今回の展示でもそれらはあるし、だからといってすべてを網羅しているわけではなく、図録には展示されていない作品もあったりする。このスペースにすべては展示できないし、すべてを展示することが目的ではないので、そこはあまりこだわらずに順路通りに拝見。沖縄は何度うかがってもここは自分が簡単に踏み込んで、はしゃいではいけないと思ってしまう。他の土地ではあまり感じないけれど、それは時間とかの積み重なり方が何か違うという感じがするからなのかも。昭和の風景については、懐かしいと思うものもあり、かつそれ以上に遠いと思うものもある。だけど、「出船の準備」なんかは、時代が少しずれるけれど、青木繁の「海の幸」を思い出したり、何か違うんだけれど共通するものがあったようにも感じた。高木さんが話していたように、構成としてすでに絵力があるところに、一瞬動きが発生したものをとらえるというのが、思い起こすとたくさんあったのかもしれない。秋田の写真の中にはそれらを感じることができた。そして、どのシリーズでも、若者たち、子どもたちに向けるまなざしがあり、それは街の中に生活の中に、そうした存在が可視化されていたということなんだろうなぁと感じる。今はそこに居るのに、無関心によって、透明に感じてしまう。木村さんは、そして他の写真家さんは、それらを撮るのであれば、どんなふうに撮って、それはどんなふうに展示されるものなのかなぁと考える。中国を撮ったシリーズは初めて拝見したけれど、生前最後に手掛けたものは木枠も含めて、タイムマシンにのってその場に降り立ったような感覚になった。

あれとこれが終わらない。でも、まぁいいかと思う。