どうも天気が安定しない。傘が荷物になる。

今度はうかがいやすい場所でした。前回のように窓があって開けた空間という感じがしないのでは?と危惧したけれど、地下ではなく2階でした。展示しているスペース自体に窓はなくても外光を背後に感じることができる設営で少し安心する。そう大きくはないスペースで3部制にしていて少し窮屈な感じはしたけれど、3部があったことはとても良かった。これがあることで、より刑務所の生活をイメージしやすくなって、そこからまた作品を見返すことで、補強されたり、ズレが見えたりする。こういう空間や生活リズムの中でこう感じるのかなぁとか、これは少々無理筋のような…とか自分の中であれこれ同意したり、反論したり忙しく作品と向き合う。2部は前回もあった展示だったと思うので、じっくりと向き合うというよりは再確認をする。ある意味重要なものではあるけれど、2部と3部はひっくり返してもよかったかもしれない。そのことで受刑者が生活する環境と作品のつながりをより強く意識できる。表現はその人の生活と関係していると思うので。それから、「刑務所アート」という言葉も何か自分の中ではしっくりこないというか、説明が不足しすぎているように今回は感じた。エッセイや詩、小説や絵画、なんでも含む表現を「アート」という言葉で括っているのはわかるけれど、なんでも「アート」で括るのは少々安易な気がする。そんなに高尚で特権的なものではないはずだけれど、「アート」という言葉がもっている強さが、「その域に達していないかもしれないけれど」とか、「拙い表現ですが」といったような言葉を書かせてしまうのではないかと思う。いいんじゃない、誰かに知ってもらいたい、見てもらいたいという表現に拙いことなんてないじゃん、と思う。また、「刑務所」と「アート」、つなぎ合わせにくい概念を結節させて、その違和感で注意喚起するという戦略もあるとは思うけれど、それだけでは、違和感だけが強く残ってしまう気がする。観る側にも「アート」ということで、構えができてしまう。「アート」が何かを変える可能性があっても、それだけではだめだし、「アート」がもたらす効果は社会に対しても、人についても、ゆっくりとしたものだと思うので、インパクト重視のものではなくて、地道にゆっくりした歩みに向き合えるものであってほしい。それと、審査した方のコメントが前回はあったように記憶しているけれど(勘違いだったらすみません)、今回は冊子になったものにはあったようだけれど見つけられなかった。一つひとつへのコメントではなくて総評みたいなものは目につくところ、もしくは配布される出展目録みたいなのにあっても良かったかもしれない。と、周辺のところからぐるぐるしたけれど、今回は小説やらエッセイなどをしっかりと拝読しました。思考が行き詰ってしまったり、迷走しながらもとりあえず、書いた時点での最善の地点に着地している感じがしつつ、それでも想像以上に揺れ動きながら、綴られたんだろうなぁと推察するものばかり。絵画は限られた画材でいろんな思いを乗せていることがうかがえる。自分の行動をこれからどう律していくのかということに対するコメントがぎゅっと胸を鷲掴みにされたように苦しくなった。ともあれ、継続することに大きな意味があると思う。変化はあるだろうけれど、少なくとも一定期間は継続していただきたいと思う。

そろそろ本気で片付けするとかと思いつつ、そろそろは遠い。