初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

初音ミクはなぜ世界を変えたのか? [ 柴那典 ]

 私は音楽といえばボカロというほど,以前からボカロファンだった.しかし,初音ミクを始めとしたVOCALOIDと今まであった有象無象の同人音楽と何が異なったのかといわれると疑問符が残るところだ.そんな疑問を解決できる本だと思い,この本について数年前から読んでみたいと思っていた.そこで先日,図書館でみかけ,手に取った.

 要点や気になった点をかいつまみながら感想,読後感を綴っていこうと思う.

 

 

サード・サマー・オブ・ラブ

 本書では初音ミクを伴った一連の現象を,1967年から数年間,アメリカを中心に巻き起こった「サマーオブラブ」,その20年後イギリスで起きたダンス・ミュージックのムーブメント「セカンドサマーオブラブ」,その20年後に起こった「サードサマーオブラブ」として捉えて考察している.これらには全て共通してDIY精神があり,そこから生まれた新しいコミュニティがあり,それがユースカルチャーとして表れていた.「大人たちには理解不能,それでも若者たちにとっては世界を変えるかもしれないと本気で思う」そんな文化の続きとして初音ミクがある.そんな表現だ.

 初音ミクを始め,VOCALOIDの界隈は,○○Pの初音ミクといった感じでそれぞれ個性がある.いわばサンドボックスだ.初音ミク登場まで鳴かず飛ばずだったVOCALOIDは初音ミクの登場を機に同人音楽の文化と合流し,遊び場,創作の場になったのだ.このようにサンドボックスになったのは,初音ミクは設定がこまごまと決まっているわけではなかったことだ.

 

東方Projectとの違い

 サンドボックス性でいえば,東方Projectというのも同人音楽としての文化も持ち,イラストの二次創作であったり,はたまたアニメーション作品であったり普及している.東方Projectも世界的コンテンツにはなっているがVOCALOIDには至らない部分もある.本書で具体的に述べられているわけではないが,これはなぜだろうと考えると,タイミングの問題も大きかったのではないかと考えられる.初音ミクは今でもニコニコ動画の主力ジャンルであるMADが本格的に規制され始めた際に発売された.MADも表現の場だったわけであり,強く言ってしまえば,遊び場,表現の場としてのニコニコ動画がつぶされる手前といったところで現れた,ある種おもちゃだった.対して東方ProjectはタイミングとしてはMAD規制の以前からあり,コミュニティは固定的だった.こういったところから,差が生まれたのではないかと思う.

 

伽藍とバザール

 クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役伊藤氏はオープンソースソフトウェアの開発と似たものを見たと語っている.オープンソースソフトウェアは「伽藍とバザール」で解き明かされたLinuxの開発モデルである.ただ,オープンソースソフトウェアの開発と異なるのはルールやマナーが定まっていない点だ.それを見た伊藤氏はオープンソースのようなライセンスシステムを定めるべく,ルール作りを行った.

 こういったルール作りがクリエイターが安心してVOCALOIDで表現していくということにつながったのだろうと思う.

 

まとめ

 VOCALOIDは自由を求めたクリエイターが集まったコミュニティのように作用したのだと思う.ただ,それを継続的に続けていくにはルールやマナーが重要になる.ここで好循環が生み出せたからこそ,初音ミクは世界的な歌姫への階段を駆け上がって行ったのだろうと思う.

 

感想

 VOCALOIDの自由さというのはある意味世界的ヒットゲーム「Minecraft」にも繋がる部分があるように感じられた.Minecraftは何をするにも自由である.冒険をしても,絵を作っても,建築物を作っても.しかもこれはメディアとして作用している.YouTubeなどの映像メディアでの共有が認められているので,作ったものを共有できるのだ.これが相互作用的に影響を与えることで,遊び方の幅が大きくなっていった.ある意味で,メディアとして作用させるというのは,こういった産業での成功のカギになっているかもしれないと思った.

 

VOCALOIDの未来

 本書も発行は2014年と時間がたっているが,未来について語られている.黎明期を振り返るような『ODDS&ENDS』が書かれたように,遊び場としての初音ミクの熱は冷めていることを指摘した上で「ブームは去るが、カルチャーは残る」として,千本桜だったり,カゲロウプロジェクトの成功を挙げ,J-POP文化への接続が書かれている.確かにwowakaさんのヒトリエだったり,ハチこと米津玄師さん,Ayaseさんをコンポーザに持つYOASOBIなどJ-POPへと繋がっていっている.さらにボカロはボカロで,VOCALOIDというソフトウェアの浮き沈みはあれど,文化としてしっかり残っている.とても小さな文化の灯だった初音ミクがここまで大きな文化へ移っていたことを考えると,とてもすごいことだし,これからも残していきたいと思うものだ.

 クリプトン・フューチャーの代表,伊藤さんへのインタビューでクリプトンがポリシーとして「クリエイターのための会社」というのを持っているのはインターネットが地方にとっての福音であるからだと語っている.いろんな人が新たなクリエイティブに挑戦する.そんな社会の実現がこの国のあるべき姿だと.

 地方の創生としての意味でも,文化の維持とさらなる発展のためにもクリエイティブな活動が止まらない,そんな未来がこれからも続いていくといいと改めてそう思った.

 

 

最後に

 この本を読んでいると,ボカロの歴史に触れ,その背景に何があるかわかり,胸が熱くなります.ボカロの音楽シーンも日々移ろう中,2014年の音楽史の本というのは少し古く感じるかもしれないが,今後のボカロシーンを楽しむためにも一読の価値ある本だと思う.ぜひ読んでほしい.