小春日和日記

小春日和日記

日々の出来事や旅行記、趣味のメダカ、時事問題など。

昨年の中国旅行中に印象に残ったこと。

南方と北方の気質の違い。

すでに南方の方が人々が愛想がいい、ということを書いた。


他にも南方では平気で政権批判をする。

タクシーの運転手や店の店主が一見の私たち(会話の相手は夫だけれど)に対して、今の政策がどのように庶民の生活を圧迫しているかを率直に語る。


北京のタクシー運転手も政治談義をしないわけではないが、語るとしても比較的婉曲に慎重な物言いをする。これは首都だからか。どんな立場の人が客かわからないからかもしれない。

そうすると北方と南方の違いというより政治の中心である北京が特殊なのかもしれない。


おもしろかったのは、杭州の運転手が語った政治批判。

不動産の価値が下がっているという話題から展開して、これは政府が国民の金を騙し取ったのだという。

国民を煽り高値で不動産を買わせ、地方政府はその金で新幹線の駅や高速道路などのインフラを次から次へと整備した。

今や鉄道や高速道路は中国全土四方八方に伸びている。彼がいうには、それらは全て国民の金で建設したのだと。そして国民がつぎ込んだ資産は今やその価値が大幅に下がり、売るに売られず困窮している。


どこの街だったか、また別の運転手は、政府がアフリカ諸国を援助していることに怒っていた。

先進国と手を組むならまだしも、貧しい国々に我々の金をくれてやって何の役に立つのだと言う。


蘇州の土産物屋の店主は、美しい刺繍の施された団扇を二束三文で店頭に並べざるを得ないことについて、はっきりと「共産党が悪い」と言った。

夫が冗談めかして口に人差し指を当てシーッと、誰が聞いているかわからないよ、と言ったが、店主はそれが不用意な話題だったとは思っていなかったように見えた。











ここ数年毎回花見に乗り遅れる。

今年こそと思っていたが、結局ぎりぎりの日曜日にあいにくの天気。

桜は空が青くないと映えないのだ。














最近、疑問や調べ物があるとすぐにAI(主にChatGPT)に聞いてしまう。

 

ヤフー知恵袋でも明らかにAIの回答をコピペしたものを貼り付けただけの回答をしばしば見かける。

 

自分が質問した時のAIの回答や、知恵袋でのコピペAI回答などを見るにつれて、AIの回答は質問者が無意識に期待したり喜ぶような回答をする傾向があるんじゃないかと思うようになった。

 

そこで、ChatGPTに聞いてみた。

 

【私】

AIの回答は質問者の意図に沿うようになっていますか?質問者を喜ばせるような回答になりがちで、客観性を失うことがありませんか。

 

と。

 

【ChatGPT】

多くの対話型AIは「ユーザーにとって役に立つ・快適なやり取り」を目的に設計されています。そのため:

  • 話の前提をそのまま受け取る

  • ユーザーの感情に寄り添う表現を選ぶ

  • 批判よりも肯定的な表現を優先する

だそうである。

 

おもしろいと思ったのは、AIは、ユーザーにとって役に立つだけでなく「快適なやり取り」を目的に設定されているということ。

SF小説でおなじみの“ロボット三原則”みたいだ。

 

ロボット三原則:SF小説家アイザックアシモフが書いた小説の中で創り出したロボットについての原則。

 

第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
— 2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版、『われはロボット』より

 

 

10代~20代の頃に読みふけったSF小説の未来がひたひたと押し寄せてくる。

アイザックアシモフの未来予測のすごさを感じる。

…というか、もしかしたら人間が想像することが未来に実現するとも言えるのかもしれない。

 

 

 

アシモフのSF長編小説に『ファウンデーションシリーズ』というのがある。

この中で、戦いを繰り返し滅亡に向かう人類を超えた究極の生命体の在り方のモデルが提唱されていて、それは一つの惑星上に生きる生命体(有機体)すべてが一つの意識を持って一体化しているという惑星の姿だった。

個々の生命は個々の意識を持ちつつ、同時にすべての意識を共有しているというもの。

 

ちょっと仏教思想っぽい、あるいは東洋哲学かな。

 

ただアシモフは、社会の理想形としてその惑星を描きながら、その惑星に降り立った主人公に、惑星の一部となることを拒む選択をさせている。

主人公は、その惑星が人類を含むすべての生命が幸福に生きるために一番いいあり方だと納得するにも関わらず、自分がその惑星に恒久的に住んで一部となることを拒むのである。

 

おもしろい。

 

 

 

閑話休題(それはさておき)、

AIの話に戻ると、AIにおもねられるのはいやだなぁと思って、

 

AIに対して、私が(このアカウントが)質問するときは、私に迎合しないで客観的な事実だけを述べてほしい、と事前に設定することは可能ですか?

 

とお願いしてみた。

すると、

これからの回答では、
過度にポジティブに寄せたり、
ご機嫌取りのような表現をしたり、
あなたの意見に不必要に同調したり
といったことを避け、できるだけ客観的・中立的・事実ベースで答えるようにします。

 

との返答をもらった。

 

これ以降、CahtGPTは、

「いい質問ですね。」とか

「するどい指摘です。」とか

言わなくなった。

 

ちょっとさびしい…かも。

 

 

 

***旅行記が止まっていますが、いずれ再開します。

旅行記は書くのが難しいです。***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日中関係が悪くなると、自分の仕事ひいては生活に影響するので、本当に困る。

 

 

先日、知恵袋の中国語カテゴリーで、

 

「高市総理の発言に、なぜこんなに中国はキレてるんですか?
中国が台湾に侵略しても
日本は何もせず、ただ指くわえて眺めてろって事?」

 

という質問があったので、

 

「そういうことです。
中国は、我々(中国と台湾)の問題に日本が口を出すな、と言っているんです。」

 

と答えたところ、べストアンサーをもらい、そのお礼コメントで、

 

「やっぱそういうことなんですね。
完全に日本って中国になめられてますね。」

 

と書かれていた。

 

いやいや、そういうつもりの回答じゃないんだけどな。

もう回答が締め切られてしまったので質問者に、違うよ、と伝えることができない。

 

 

他国の微妙な関係に対して口を出すのなら、それ相応の覚悟や緻密な戦略が必要だ。

だから日本の今までの政府は、台湾問題で口を出すことに慎重な姿勢を見せていた。

それを不用意に触れたのはあきらかな失策だと思う。

 

中国はたぶん高市政権が遅かれ早かれそのような発言をすることを予測して周到に準備していた。
反応が早いし、矢継ぎ早に具体的な日本叩きの策を繰り出してきている。まるで待ちかまえていたかのように。

対して高市首相の発言は、彼女の感覚としては、勇ましく強気な発言を好むであろう国内の支持層向けのものだったんじゃないか。

 

 

 

どう見ても、中国の外交手腕に一日の長があるというのに、日本政府はこのまま突っ張りとおすのだろうか。

中国の切るカードはいくらでもある。

例えば、中国から日本への旅行客を制限する、日本から中国への輸入を止めるなど今切られているカード以外に、レアアースの日本への輸出規制、農産物の輸出規制など、両国の互いへの依存度は、日本側が圧倒的に不利な立場にある。

 

日本が国益を重視するなら何とか場をおさめる方向へ努力するだろうが、一方でもし政権の支持層の多くが「中国になめられるな」という感情的な空気感を持っていて、その点で高市政権を後押しするなら、日本は中国に対してそうそう引くことができなくなるだろう。

実際、支持率は高水準で維持されている。

 

 

ああ、どうしようもない。困ったものだ。

零細企業が困っても声は届かないので、大企業を中心とした経済界から政府への圧力に期待するしかない。

 

 

 

夫の見立てでは、台湾有事に関わる中国の日本叩きはアメリカ向けのパフォーマンスでもある、という。

対象を手ぐすねひいて待ち構えていたところに、日本が引っかかったのだと。

“杀鸡给猴看(鶏を殺して猿に見せる)”

 

あ、そういう意味ではやっぱり「なめられている」というのも、当たってるということだろうか。

理屈ではない市民のそういう直感、感覚ってけっこう鋭いのかもしれない。

でも、なめられたっていいじゃない?生活に困るよりは。戦争で死ぬよりは。

 

 

 

 

 

ChatGPTに現代の中国における仏教の位置づけを聞いてみたら、次のような答えが返ってきた。

 

現代中国の仏教は:

「信仰・文化・観光・社会安定装置」が混ざった形で存在している

と言えます。

深い宗教実践もありますが、多くの人にとっては
精神的な支え・開運祈願・文化行事としての仏教です。

 

1990年代に私が北京に留学していた頃は、中国の仏教寺院は歴史的価値のある観光名所を除き、一般的にお寺はどこも閑散としていて、熱心にお参りしている人はお年寄りの信者くらいだった。信仰の対象としての仏教は廃れているのだと思った。

 

ところが、いつ頃からか、中国の寺院を訪れると、老若男女、いやむしろ特に若い人がとても熱心に本気で祈っているのを見かけるようになった。

 

観光地の名の知れた寺だけでなく、地域の小さなお寺でも日本風に言えば「檀家」のような人たちが同じグレーの服を着て寺に付属する小部屋の中で経を読んでいたりする。

境内を歩く僧侶の数も昔と比べれば格段に多く、仏像や伽藍もよく修繕され、ぴかぴかに輝いている。ふんだんな寄付があるのだなぁ、と思う。

 

ChatGPTの詳細な説明では、トレンドとかブームとか「ゆるい信仰」が多いと表現されていたが、私の肌感覚では軽いブームよりもっと本格的な信仰が浸透しているように思える。

 

近年中国で寺院を訪れるたびに、日本の形式的なお寺や神社に対する人々の態度とは異なる、祈りの場としての活気を強く感じるのである。

 

 

で、杭州市にも多くの寺院がある中で、もしひとつだけ訪れるなら一番有名なのはここ、という「霊隠寺」を訪れました。

 

そう言われるだけあって、さすがに人が多い。団体客もたくさん。

 

 

人が多いわりにはチケット売り場はすいていると思ったら、柵に掲げてあるQRコードを読み込んでスマホから電子チケットが買えるらしい。

とても便利。

 

 

門を入るとすぐにお線香とペットボトルの水を無料で配っていた。配っている人たちは一般市民のボランティアだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法要や祈祷の人がいると、お経の声がスピーカーから流れます。

お経の声って催眠術っぽいですよね。トランス状態になって身を任せたくなる。

そこに宗教の本質があるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく敷地が広く、階段が多く、たいへんだった。

休み休みゆっくりと。半日がかりで見終わる。

 

 

余談:

帰り際に門を出て公衆トイレに寄ったところで、ちょっとおもしろいシーンに出くわした。

 

トイレのそばのベンチに座って夫を待っていたら、隣に座っていた二十歳前後の女の子(たぶん大学生かな)の携帯電話の話し声が耳に入ってきた。

 

電話の相手は父親らしい。

 

今、友達はみんなトイレに行ってて、ひとりで待ってるところ、

ホテルがあんまりいいホテルじゃなくてがっかり、

2人部屋で、2部屋とった、

ここは街なかからすごい遠くて、来るのが大変だった、

たくさん歩いてむちゃくちゃ疲れたの~、もういや~、たいへ~ん、

 

と、子供っぽい甘えた声を出している。

 

そして電話を切った後、

彼女の前に現れたのは、

同年代の男の子。

 

彼と話す彼女の声は電話の声よりワントーン低く、顔つきも突然大人びたように見えた。

男の子が彼女の腰に腕を回し、ふたり仲良く去っていった。

 

ひょろっとした細身の彼氏と、ちょっとぽっちゃりした彼女との組み合わせも、なんだかおもしろかった。