最近のこと、たまたま、いわゆる拳法を見習う機会があった。

 

全くの拳法の素人とはいえ、今更ながら驚かされたのは、中級者、上級者と思われる方でも、初心者、入門者と同じく、基本動作の練習を延々と、10分、20分と行うということだ。

 

中級者といえども、日頃は練習時間の制約もあるから、入念な準備運動を兼ねて、基本動作を行うのだろうと思っていたが、よくよく見聞きしている内に、その基本動作が実際の技の実技につながっているからやっている、という方が正しいようだ。

 

こうなると、そんなことに驚いている自分自身が、人から見れば驚かされる存在なのだろう。

 

そんな自分の感覚に興味がわいてきた。

 

・・・なぜ、自分は、基本動作が単なる準備運動以上に、実際の技の運用の基本であるということ、そうであるならば、毎日、毎度の練習が、一見すると延々と続く基本動作の練習から始まることが当たり前と思えないのか?

 

 

そこで、思い出したのは、ユーチューブで流れていた島田伸介氏の後輩向け「講義」の音声だ。

 

確か、阪神タイガースの掛布選手のエピソードの紹介で、「プロ野球選手なら、毎日、素振りを何百回と繰り返すことは当たり前。 肝心なことは、その一振り一振りに実際の試合場面を詳細にイメージして振っているかどうかだ。」と言われていたことだ。 なるほどである。

 

例え、野球の素人であっても、初級者の素振りと 上級者のそれが一目で違うことは分かる。

しかし、慣れている一振りと、トッププロの一振りには、意識の違いがあるというわけだ。

 

そして、その素振り練習は、それだけで、初級者の練習時間を上回っているだろう。

 

古くは、ホームラン王の王貞治氏は、完全にリラックスできる夜の酒席にいても、一定の時刻になれば、つと席を外し、素振りの練習に入ったとも伝えられている。

 

なるほど、トッププロともなれば そうなのだろう・・・と思うのだ。

しかし、それでも、なぜ、そうするのだろう?

 

なぜかは分らないが、それが当たり前なのだろうか?と考えている。

 

それでまた、思い出すのは、大リーグに移って数年を経ずして、メジャーでの殿堂入りが確実と言われるイチロー選手の話。 試合で良い当たりが出たら、自分の筋肉にある、その打った記憶を消さないために、マッサージは受けないとか。
 

なべて、そうしたことを当たり前とするならば、その当たり前は、自分のどの場面で考えられるのか、そんなことを考えてみたくなる。