『快刀ホン・ギルドン』第2話、
グァンフィは王間にひしめく亡霊たちに向かい、
「王室の召使の息子が王になって何が悪い。
何か恨み言でも言ってみろ、え?」と嘲り笑う。
白い服の亡霊たちはいつものように一言も発しない。
くすくす笑いながら酒を飲み始めたグァンフィの耳に「兄上」と幼い声が聞こえてくる。
王が顔をあげると大勢いた亡霊たちはいつのまにか消え去り、
目の前に7歳の幼い異母弟のチャンフィが立っている。
「兄上、弓を教えてくださる約束でしたよね」と言いながら
チャンフィがさしだす小さな手を思わず握ろうとする王だったが、
その瞬間チャンフィの姿がすうっとかき消えて行く。
思わず「おまえだけは、殺したくなかったのに…」と泣き崩れる王は、
20年前に自分の王位を守るために大勢の人間と継母と、
そして自分を心から慕っていた異母弟をも死に追いやった男だった。
ここで、グァンフィが怖れながらも求めてやまない弟の
チャンフィの亡霊が、白い服を着ている他の亡霊たちとは違って、
王族の幅巾(ポッコン=男の子用の頭巾)を被った正装の身なりで
現れていることにお気づきだろうか。
これは“死んだはずの”チャンフィの実体がまだ生きているという示唆ではないかと思う。
『快刀ホン・ギルドン』はホ・ギュンがハングルで書いた
小説『洪吉童傳』を原作にしているが、
チャンフィは原作にはないTVドラマ独自のキャラクターである。
ただし、チャンフィは実在の人物をモデルにしている。
『快刀ホン・ギルドン』の製作発表会で、
チャンフィ役のチャン・グンソクは
「私が引き受けたイ・チャンフィという役は
李王朝中期に実在した永昌大君(ヨンチャンテグン)をモデルにした役です。
永昌大君は兄王により幼くして非業の死を遂げた王子ですが、
この作品はその永昌大君がもし生きていたら、という
仮説を立てて作られています」と述べている。
永昌大君の生涯を『朝鮮王朝実録』より簡単に記せば、
李王朝第14代宣祖の14人の息子の中で唯一の嫡子(正室から生まれた男子)であり、
1606年に継妃の仁穆(インモク)王后から生まれた。名前は曦。
宣祖が54歳になってようやく得た待望の嫡子であったため、
永昌大君は父王の寵愛を一身に受けた。
宣祖は、すでに世子(セジャ=王権継承権を持つ王子)として冊封されていた
側室恭嬪の次男で庶出となる光海君(クァンヘグン)を廃して、
永昌大君を世子としようと考えた。
当時、政権を掌握していた小北派の柳永慶(リュ・ソンニョン)などは、
光海君が長子ではないという理由で明から世子の認定を拒絶されている事を理由に、
宣祖の考えに賛成していた。
しかし1608年に宣祖は持病が悪化すると現実的な判断に基づき、
光海君への禅位教書を下したが、柳永慶がこれを公布せずに隠してしまう。
その後宣祖が突然急死したため、王位継承の決定権は仁穆大妃に託されることになった。
柳永慶は仁穆大妃に永昌大君を即位させて、
垂簾聽政(幼王の母妃が摂政を務める政治)をすることを勧めるが、
仁穆大妃は現実性がないと判断し、ハングル文字の教旨を下して、光海君を即位させる。
光海君は即位すると、まず王位継承の際に術策を弄した柳永慶を配流して殺害する一方、
長男として世子の座を欲して絶えず王権を脅かしていた
同腹兄の臨海君(イメグン)をも珍島に配流した後、毒薬を与えて自決を命じた。
そして、1613年に起きた「七庶の獄」の謀叛計画に関わったとして
永昌大君を庶人に落として配流する一方、
後には仁穆大妃を廃し西宮(徳寿宮)に幽閉するに至った。
永昌大君は江華島に流された後、
1614年の春に宮廷からの命により住まいの小屋のオンドルに火を放たれ
その熱気で蒸殺された。享年8歳だった。
以上の歴史的事実からわかるように、
チャンフィと永昌大君の関係と同じように、
グァンフィ王は永昌大君の異母兄・光海君をモデルにしていることにも気づくだろう。
付け加えれば、柳永慶はイノクの実父のモデルのようにも思える。
嫡子・永昌大君の誕生によって世子の座を脅かされることになった光海君は、
1575年に宣祖の次男として生まれた。
母は側室の恭嬪金氏で、宣祖の長男・臨海君とは同腹の兄弟である。
名前は琿で、幼い時に光海君に封じられた。
壬辰倭乱(文禄の役)が起こった1592年、長男の臨海君を退けて世子に冊封された。
壬辰倭乱中は世子としての役目を果たすことに最善を尽くしたので
厚い信望を得るようになり、大臣たちは光海君に世子として仕え、
戦乱の際も前線に立って戦う王子として民に慕われた。
グァンフィの名前を漢字名であらわせば「光輝」であり、
チャンフィは「昌輝」である。
グァンフィの名前が光海君とその名前から取られていることは
漢字を見れば一目瞭然である。
グァンフィは奴婢出身の側室を母としながらも世子となり、
庶子出身の王位継承者として側近のホン・ソヒョン判書とともに
社会的不平等を無くす新たな政治の実現を目指していた。
後にチャンフィが兄に剣や弓を教えてくれとせがんでいるところから見て、
光海君のように武術にも長けた人物であったのだろう。
世子時代のグァンフィは暴君というより、
むしろホン判書の庶子ホン・ギルドンとよく似た立場の、
非凡な才覚を持った人物であったのだ。
(ホン判書が自分の息子ギルドンに庶子としての分別を持つよう厳しく言い聞かせるのも、
結局は庶出の身分の苦しみから解放されなかったグァンフィの姿を
近くで見てしまったゆえではないだろうか)
しかし先王の後添いとなった若い后妃に嫡出の王子が誕生すると、
グァンフィは庶子という負い目から
次第に世子の座を追われる不安にさいなまれるようになる。
先王が突如急死したため、世子であるグァンフィが王に即位するが、
ホン判書から先王が嫡子を後継者とする密命が刻まれた四寅剣があると知らされ、
王座を守るために関わりを持った大勢の人間を粛清し、
大妃と異母弟を密かに幽閉し、ついには彼らの殺害を命じる。
しかし、肉親を殺した自責の念に耐えかねて正気を失い、政治への意欲を失い、
その後の生涯を酒色に溺れて過ごすようになる。
しかし、チャンフィは生き延びていた。
グァンフィの命により放たれた火の海から
母大妃を犠牲にしてノ尚宮とふたり逃げ落ちた心の傷を負いながら。
そして機が熟したとみるや、
チャンフィは兄王への復讐と王座奪還のために隠れ潜んでいた清から帰国する。
それではグァンフィの見た幼いチャンフィの亡霊は何であったのか。
無邪気に自分を慕ってくる小さな弟をその存在を
恐れながらも誰よりも愛していたのに、
自分の王座を守るために非道に殺してしまった罪悪感が
うみだした幻覚に過ぎなかったのだ。
その幻覚に20年以上も惑わされ、
国も民も振り返ることなく無為に過ごしたグァンフィは、
陰ながらずっと父のように守り続けてくれた唯一の忠臣ホン吏曹判書を失い、
深い絶望の底に落ちる。
そしてなおもしつこくまつわりつく亡霊たちを追い払う方法として
内侍から勧められた邪気払いの剣・三寅剣を作るため、
四寅剣を作った鍛冶職人たちを探し始める。
それが過去に隠された大きな謀略を暴くきっかけになるとは夢にも思わずに。(続く)
うひー、終わらなかった…。チャンフィのところまで書けなかった…。
今日もう1つ小さな記事できたら作ります。