伝えたいキュヒョンの父からの手紙 | むらたま SUPER JUNIOR キュヒョンブログ

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おはようございます。

昨日キュヒョンの年内入隊の記事が出たことでちょっと思考停止してしまいました。

キュヒョンは社会服務要員(公益勤務要員) として服務し、年内に入所する予定ですが、具体的な入所の日付けは決まっていません。
入所日が決まったら4週間の基礎軍事訓練を受けて2年間服務することになります。


こちらwow!koreaより



2007年4月、キュヒョンをはじめとする「SUPER JUNIOR」のメンバー、イトゥク、シンドン、ウニョクはKBS Cool FM「Kiss the Radio」の進行を終えた深夜、マネジャー2人と共にオリンピック大路盤浦(バンポ)大橋近隣を走行中、横転事故に遭った。

事故直後、メンバーたちはソウル聖母病院に搬送された。他メンバーは打撲傷程度の軽傷だったが、キュヒョンは重傷だった。当時、関係者は「右側肋骨骨折、気胸肺出血、骨盤骨骨折、腹腔内出血、足の骨折」と伝え、「5つの科で診療中」と説明した。

不幸中の幸いで脳損傷は避けられたが、キュヒョンは手術もすぐに受けられないほど深刻な状態だった。「SUPER JUNIOR」全員が放送活動を中断して末っ子の快癒を祈り、キュヒョンはメンバーやファン、家族、知人の応援の中、徐々に意識を取り戻していった。

“一時的なショック状態”という表現が出るほど、キュヒョンは生死をさ迷ったが、奇跡的に回復し同年7月に退院、リハビリ治療を受け、治癒に向けて奮闘した。そして、2007年9月、「SUPER JUNIOR」の2ndアルバムの活動に合流し、望んでいた舞台に復帰した。

その後、キュヒョンはトークショーに出演し、悪夢のような日を振り返りながら「目を閉じて音楽を聴いていたのだが、ドシンという音と共に車がまわる感覚があった。そして気を失い、目が覚めると、僕は道路の上にひっくり返っていた。手術をしても生存の可能性が20%に過ぎなかった」と明かしたことがある。

肋骨が折れて肺に達しており、首を突き抜ける手術をしなければならなかったというが、その手術の成功率が非常に低かったということだ。キュヒョンは歌声まで失うところだった。 だが、キュヒョンはそれに勝ち抜き、10年が過ぎた今までファンのために歌っている。

「奇跡」という言葉以外では語れない瞬間だ。キュヒョン自ら「新たな人生を送ることになった感じ」と。彼は生還し、歌い、ファンに喜びを提供している。

↓元記事はこちら
wow!korea
 
この記事を読んで私が真っ先に思い浮かんだのはキュヒョンのお父さんの手紙でした。
『光化門で』が発売され、初めてソロ・アルバムを出した息子に送った手紙です。
訳は私が2年前に翻訳機などで訳したものを少し読みやすく手直ししました。
訳は完璧ではありません。
こんな事を言ってるんだと思っていただければ幸いです。




息子に送った手紙


息子に!

息子よ!

世の中に尊くない子供はいない。
もちろん特別でない子供もまたいないんだ。

ところで君は今日ちょっと特別だった。
パパは今日君によって結構幸せだ。
いや夢ではなくなるのをどれくらい願ったのか分からない。

息子の名前が載ったソロ・アルバムが世の中に初めてお披露をしてくれた日で、世の人々ㅡいやあなたの親ほど大切にする人達によって作られた音源の順位だろうが可能性を確認した日だから、どれだけ幸せな日なのか?

君は高校2年生の時、歌手になりたいと言った時ㅡ
一曲の音楽を録音機で一人で2~3人の役割でハーモニーを別にして2~3重に録音したのを聞いた時ㅡ

パパは君の夢を叶えなければならないという考えに歌手になるため、アルバムへの参加費用を調査し、数億をかけて発売をしても成功の可能性は2%という言葉に、君はあっさりと君の夢を諦めてくれた。

パパはその時ありがたかったが、君に借りを作ったのだ。

ところで君が交通事故で生死の境をさまよった時ㅡ父が最も後悔したのはまさにそれ(アルバム)だったんだ。

事故で喉を穿孔(穴を開けて)ホースを挿入しなければならなかった時(喉を切開して呼吸器を付けることでしょうか?)パパは君の声を助けなければならないという考えで信仰のように決めたが、パパの選択がまさに息子の死になりかねないという助言にかなりためらったのも事実だった。

君が集中治療室で昏睡状態の時、君の代表(イ・スマンさん)が、急遽帰国して君を探してくれ、その場で生きてさえくれば歌う事が出来なくても演技者にでも育てますと約束した時、ママ、パパは演技者ではなく、生きてさえくれと哀願した。

その後、君が5日ぶりに精神を整えて(しっかり気をもって)一番最初に求めたのはスジュのアルバム1集に参加出来なかったために2集には必ず参加しなければならないということだった。

2集のアルバムのスケジュールが決まって6ヵ月あってこそ動くことができる医療スタッフの診断にも無理に昼夜リハビリをして3ヵ月ぶりに練習室に連れて行った日をㅡ

外の仕事で、もしトイレに行かなければならない状況が起こると思って練習や放送に出る時は食べ物の摂取をしない君を見ながらママ、パパはどれほど不憫に思ったか、こっそり泣いたんだよ。

ところが、息子よ!

そのように10年余りを待っていたアルバムだが、ㅡある意味家族の夢でもあったがㅡ君は両親にまで公開せず、サプライズな発表をしていたが、今日の音楽会で聞いてみたら君は数年前から一人でその夢のために地道に準備していたんだね。

秋の音楽会で、君のアルバムに収録された曲を聴いて背景を聞きながら大きくなった息子を感じながらㅡ深まる秋の夕暮れに愛と悔恨の歌を聴いて、パパはこれ以上君のパパというより君のファンとして多くの感動を受けることになった。

息子よ、パパがしてあげれなかったことをSMがしてくれたので、製作スタッフに感謝しなさいㅡ
特に信じることで待っていたし、また、約束を守ってくれたその方に無限に感謝しなさいㅡ
君のアルバムが世に出て、夜を明かし、かつ君と同じ夢を見て、各音楽チャㅡトで1位をさせてくれるために奔走したファンに一生感謝しなさいㅡ


息子よ!

タイで昨日明け方に帰って来て今日一日中、最近君の殺人的スケジュールを振り返ってみると、君が何をしたか、君もきっと不思議に思うだろうと考える。

君一人だけによる秋の音楽会とミュージカル(その日々)、そしてスパショワールドツアーに疲れている君に父としてこの言葉を伝えたい。

君がそれほど夢見てきたソロアルバムも製作されており、ファン達の限りない愛で各種音源チャートに上位の座を占めたので、もう余裕を持ちなさいㅡ

必ず1位がなくても君は名前を世に残したことで満足しなさい。もし世の関心がだんだん離れても、がっかりしてはならない。

君はすでに公認である。
ある家庭の息子ではなく、尊敬される真の認められる人に成長してほしい。


愛する息子よㅡ


↓原文はこちら
キュヒョン父からの手紙

何度読んでも涙してしまうキュヒョンのお父さんの手紙。
息子の頑張る姿をずっと傍で見守っていた家族。
自分の力になってくれたメンバー、ファン、友達、会社の方々、そして支えてくれたたくさんの人達に感謝の気持ちを忘れず成長してほしいという父の願い。
それを忠実に守りコツコツと努力を重ね夢を叶えていく息子。
そんなキュヒョンの姿を見て彼を支えていきたいと見守るファン達。

事故の事もあり、キュヒョンは免除でいいのでは?
という声も上がっているようですが、芸能人と言うだけで叩かれてしまう事もあるのに、そう言ってもらえるのは、私はキュヒョンの人柄もあるんじゃないかなと思いまいた。
努力を惜しまず仕事に対する姿勢や周りへの気配りや優しさ。
周りはちゃんと見てるんじゃないかと。

毎日を大切に生きるのはたやすい事ではありません。

つまずくことだって失敗することだってある。
でもそれをバネにすることだって出来る。

私はいちギュペンとして、これからもキュヒョンを見守っていきたい。
そう強く思いました。





[画像はお借りしています。ありがとうございます。]