【序章】


 舞鶴基地モニター、

その言葉を聞いたのは婚活仲間に教えてもらえたからだった。


 当時の私は、必死に全国に飛び回って婚活をしている最中だった。目的は自衛官妻になること。

そして徐々に、自衛隊オタクへと進化していく中で、もっと知れるかもしれないと思い、

何をする人たちなのかわからないまま、

応募をし、選ばれた。


 「令和4年度海上自衛隊舞鶴基地モニター」

2年間の活動で、令和4年と5年をモニターとして活動する。

全国各地の陸海空自衛隊のうち、海上自衛隊の舞鶴基地のモニター。

 たくさんのイベントに参加して、地域と自衛隊を繋げるために意見を言ったり、SNSで広めたり、いわば公認自衛隊オタクによる広報ボランティアである。



 実は、今だから終わったから言えるのだが、

応募をし電話で連絡が来たのは令和4年3月末頃。

もうてっきり選ばれないと思っていた私は

国家資格取得のために4月から学生に戻ると決めていた。


 だから嬉しさのなかに、満足にイベントへの参加やSNSで発信ができるかという不安が入り混じっていた。


 もうその頃は、自衛官妻になれないだろうと

婚活も諦め始めていたし、

イベントへ行くとその夢が込み上げてくるし、

少しばかり、オタクという肩書きをおろそうとしていた。

 目の前の国家資格に全力集中しようと決めていたから、電話でモニターに選ばれたと連絡が来た時はとても驚いた。


 まだ諦めなくても良いのかなという解釈と、

ブログでオタクと名乗って好き放題書いていたから、迷惑だろうと思っていたが、マークされるでもなく受け入れてもらえたのだという嬉しさが込み上げて来た。


 ただやっぱり現実では、自分の人生に時間を割くことに決めた。

モニターでしか参加できないイベントだらけだったのに、それも参加せず国家資格取得へ時間を割いた。


 やっと国家資格を取得でき、京都を出て引越し1人暮らしを始めた。だからさらにイベント参加率は悪くなった。

 土日も仕事だったので、一生独身だろうと、もう婚活さえも全くできないくらい仕事に集中していた期間に後の結婚相手となる主人と出会えた。

そしてまた引っ越した。

 結婚、妊娠へと至る。


 つまり、覚えているだけでも2年の活動期間のうち、

1年目は、3、4回ほどしか参加できなかったし

2年目は、これから書く4月5日と12日、13日の最後の最後にあったイベントしか参加できなかった。


 参加率が低くなることの申し訳なさで、相談に乗ってくれた空自幹部から

「生活に影響あるほどのイベント参加率は求められてないでしょ。」

と言ってもらえたことに甘えて本当に参加率は低かったと思う。


 あんなにも一般イベントとは違うだなんて知っていたら、もっともっと参加していたかもしれないが、

国家資格取得や仕事を優先したおかげで自衛官である主人と出会え、自衛官妻になれたと言っても過言ではない。



 この2年間で、きっと終わるんだと思っていた自衛隊オタクの道が、自衛官妻になれたことでこれからもずっと続くんだと思うと、幸せでしかない。


 モニターに選んでいただけたことが大変ありがたく、貴重な体験をできたことを自慢したい。


 そんな令和4年度舞鶴基地モニターとして参加した、最後のイベントの3日間を綴ろうと思う。