「牛乳地獄」に関する哲学的論証と考察 | 牛乳武露愚地獄

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名古屋を拠点に活動する劇団「牛乳地獄」の稽古風景や
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 私は愚かであった。

 もうこの今回の出演で「牛乳地獄」さんへの客演回数は三回目である。しかし何の疑問を抱くことなくただ役への追及にいそしんでいたのだ。


         「牛乳地獄」という名前には一体なんの意味があるのだろう?


 ふとこの疑問が頭をかすめると同時にこの問いかけは頭から離れなくなった。夜も6時間しか眠れない。食事も、食後にナタデココヨーグルトを食べるぐらいしかできない。もはや私の頭の中は牛乳地獄でいっぱいであった。


 そんなとき、この牛乳地獄さんのブログを書くという依頼が届いた。これは「牛乳地獄」という哲学的論証をするのに非常にいい機会ではないか。そう思いナタデココ片手に筆を取る次第である。


 ただはじめの段階で私は大きな壁にぶつかってしまった。まず「牛乳」とは何か。「牛の乳」と言ってしまえば簡単だろう。しかし、牛乳地獄で客演をするという身、かれこれ4、5年間牛乳を飲んでいないというのはいただけない話だ。


 それには理由がある。私はあまり牛乳が好きではない。コーラの方が好きだ。もちろん0カロリーじゃないやつだ。コーラといえば最近特保のメッツコーラとかが出ててそれが流行ってるら(ry)よし。牛乳を飲むしかない。私はそう決断した。


 飲む牛乳は『明治「おいしい牛乳」500ml乳脂成分3.5%以上10℃以下で保存してください』。しかしここでまたある疑問が浮かぶ。「おいしい牛乳」と言ってしまってはそもそも牛乳をおいしくないと定義してしまっているのと同じではないか」。雪印さんは何を考えているんだ。そういう名称をつけるから若者の牛乳離(r


 牛乳をコップに注ぐ。トクトクトクトク・・。さすがに牛乳の純な白い美には目をみはるものがある。コップの取っ手をとり液体の界面を鼻孔に近づける。あの牛乳独特の「牛乳臭」が牛乳っぽく牛る。

 私は意を決して飲み込んだ。牛乳特有の粘着質と同時に喉を通る際粉雪のようにさらさらと下り落ちる感覚。さすが「おいしい牛乳」である。雪印は間違っていなかった。

 そしてそのときである。牛乳の波が私ののどちんこを振動させたとき、その振動がある神経伝達部位を刺激したらしい。神経伝達物質は脳に直接伝わり、私はいつの間にか過去の小学生のころの教室の風景を見ていた。どうやら記憶をつかさどる中枢を刺激したようだ。


 白と赤色で彩られた紙パックの牛乳。そこに差し込まれたストロー。プラスチックのトレーに入れられたあげぱん。目の前には気になっていた白肌の女の子。

 その女の子を見ながら牛乳を飲んでいると、それは途端にイチゴ牛乳に変わる。甘い味。甘美な香り。友達にこしょぐられる。吐き出す俺。静まり返る教室。目の前には俺を見据える白い眼。何よりも真っ白い眼。その牛乳をふいてから時間が経過した後のぞうきんの匂い。臭い。マジ臭い。いやマジで・・


 地獄。そうか、これこそ地獄だ。これが牛乳地獄だったのだ。


 私は眼から流れ落ちるにごった涙をぬぐいながら、「牛乳地獄」の意味深さを知る。



 知らなきゃよかったなぁ。



                                                        林